【平成球界裏面史 近鉄編⑥】平成16年(2004年)6月13日を起点に世間を騒がせた近鉄、オリックス合併問題。これはそのまま球界再編問題へと発展していった。
序盤はすべてが決まりごとのように淡々と手続きが行われていった。
6月17日にパ・リーグ緊急理事会が開かれ、21日はセ・パ両リーグ会長と12球団代表者による実行委員会を開催。ここで合併が了承(正式承認ではない)された。13日の報道からほぼ1週間しか経過していない。
この時点で別の動きもあった。6月下旬に堀江貴文氏率いるライブドアが近鉄球団買収の意思を表明。世間的には話題となったが、球界としてはほぼ黙殺の状態だった。
7月1日、パ・リーグ理事会が開かれ合併球団の出資比率や、現球団名でもある「オリックス・バファローズ」という名称も決定。保護地域(本拠地)を大阪府、兵庫県のダブルフランチャイズとすること、新球団のプロテクト選手の人数などが粛々と決められていった。
もちろん、ライブドアが議題となることなど皆無だった。その一方で4日には大阪ドームを堀江貴文氏が訪問。試合観戦を行ったのだが、こちらもニュースでは取り上げられるものの、球界からの反応はほぼ皆無といってよかった。
近鉄・礒部選手会長も「俺の力なんてたかが知れているかも知れない。それでも、近鉄を買ってもらえるような関西の優良企業を紹介してもらえるよう、自分なりに動いている」と奔走していた。
そんな中、7日にはオーナー会議が開かれた。ここで近鉄、オリックスの合併は序章にすぎないことがわかった。
両球団の合併に関し、オーナー陣は既成事実だったかのように承認。さらに近鉄の消滅で奇数の11球団ではリーグの運営が困難とし、さらなる合併案が出るという事態に発展した。
当時の西武・堤義明オーナーは会議の中で「もう1組の合併の話が進行中である」と明言。会議後の会見では「西武、日本ハム、ダイエー、ロッテでどことどこが一緒になるか模索している段階」と踏み込んだ発言を残し会場は騒然となった。
つまり10球団、8球団で1リーグ制に移行しようという論理だ。近鉄、オリックスが主役の合併問題だったはずが、球界全体を巻き込むNPB再編問題となった。こうなれば関西の2球団だけの問題ではない。
1リーグ制移行を一気に進めようとする球団経営陣。9月8日の次回オーナー会議では次なる合併話をまとめ、来季は1リーグでNPB興行を開催する勢いだった。
あの当時、その時点から少しさかのぼってもオーナー会議で1リーグ制が議題になった記憶も記録もない。パ・リーグのオーナー陣が温め続け、機を見てオーナー会議の議題としたわけだ。
しかし、すでに未来を知るわれわれは、そうはならなかった現在を生きている。財界人が巻き起こした大きな渦を止めたものは何なのか。ある重鎮の発言から世論が大きく動くことになる。















