【平成球界裏面史 近鉄編⑤】平成16年(2004年)6月13日、近鉄とオリックスが球団合併するというニュースが世間を騒がせた。合併案が出ているという段階ではなかった。すでに球団親会社同士による決定事項として進められていた。そういった事実に、多くの関係者が不信感を募らせた。

合併反対の横断幕(2004年6月)
合併反対の横断幕(2004年6月)

 12球団で運営するNPBが11球団に減少するとどうなるのか。もう1球団削減して10球団1リーグ制というシナリオも存在した。こうなると近鉄、オリックスだけの問題ではない。他球団の選手、スタッフも他人事ではなくなる。

 当時、近鉄の中心選手だった中村紀洋(現中日二軍打撃コーチ)は当時、こんなコメントを残している。

「長年存続している優良企業に内定、就職したにもかかわらず、急に会社がなくなりましたというようなもの。夢の舞台であるはずのプロ野球の世界がこんな状態では、目指す子供も減少してしまう」

合併反対署名活動をする近鉄・中村紀洋ら(2004年7月)
合併反対署名活動をする近鉄・中村紀洋ら(2004年7月)

 当時の近鉄選手会長で中村とも同い年の礒部公一は「近鉄球団の消滅も、10球団1リーグ制移行もNPB全体で団結して阻止せなあかん」と行動指針を定め、立ち向かう覚悟を決めた。労組プロ野球選手会や事務局スタッフらと連携を取りながら、長期戦へ向けた戦略を練ることに注力した。

 その後、シーズン中にも関わらず労組選手会とNPBサイドの話し合いの場が何度も設けられた。会議の前後には選手と記者という関係を超え、礒部選手会長と話し合った。

マイクを握る選手会の古田敦也会長(2004年7月)
マイクを握る選手会の古田敦也会長(2004年7月)

 プロ野球の興行がない日、通常は遠征先への移動日や休日となることが多い。だが、労組選手会から代表として会議に出席する現役選手たちは、都内のホテルを経由して遠征地へ移動するなど、相当な負担がかかった。

巨人ナインも合併反対の署名を行った(2004年7月)
巨人ナインも合併反対の署名を行った(2004年7月)

 会議が終わり羽田空港へ向かうタクシーに礒部選手会長と同乗したこともあった。取材ではなく作戦会議だった。

 当時の礒部は「もちろん、記者に何でも話せるわけではない。言えないことは言えない。でも、この状況をどう捉えてどう動く方がいいのか。客観的な目線で助言してくれ」と協力を要請された。

近鉄ファンと観戦する堀江貴文氏(2004年7月)
近鉄ファンと観戦する堀江貴文氏(2004年7月)

 6月21日に開かれたプロ野球実行委員会では、他の10球団から合併を了承する旨が示された。その月末にはホリエモンこと、堀江貴文社長率いるライブドアが近鉄球団買収を申し入れる意向を示した。

近鉄・山口昌紀本社社長(2004年)
近鉄・山口昌紀本社社長(2004年)

 だが当時の近鉄本社・山口昌紀社長は「申し出はすでに断った。オリックスとの合併話を進めており、買収の話に乗る気はない」とコメント。さらには自宅前で取材を試みた複数の記者に対し「(ライブドアは)そのへんのうどん屋のオッサンが球団買うとゆうてるんと同じやないかい」と発言し物議を醸した。

 パ・リーグの一部の関係者からは「考え方の古い昭和の財界人たちは嫌がるだろうけど、IT関連企業が球界に参入するのは賛成。時代に合致する」との意見も見られたが、そう簡単に流れは変わらなかった。球界再編問題はさらに混迷を極めることとなる。

反対のデモ運動も起きた(2004年8月)
反対のデモ運動も起きた(2004年8月)