【平成球界裏面史 近鉄編④】平成14年(2004年)、近鉄球団は消滅する。その兆候が出たのはキャンプイン前日、1月31日のことだった。球団は緊急会見を開き当時の番記者を招集した。

小林哲也球団社長(左)と近畿日本鉄道、山口昌紀社長(2004年)
小林哲也球団社長(左)と近畿日本鉄道、山口昌紀社長(2004年)

 その席で年間50億円にも上るとされた経営赤字を解消するため、ネーミングライツ(球団命名権)を36億円ほどで売却すると発表。関係者への取材ではすでに「〇〇バファローズ」の候補企業と水面下で交渉中だという情報も入った。

 前例として平成12年から3シーズン、オリックスの二軍が3年3億円(金額は推定)で建設大手の穴吹工務店に命名権を売却し「サーパス神戸」として活動した旨の説明も行われた。だが、一軍のチーム名を売却となると異例中の異例だった。

西武・堤義明オーナー(左)と渡辺恒雄・巨人軍球団会長
西武・堤義明オーナー(左)と渡辺恒雄・巨人軍球団会長

 事実、球界オーナー陣への十分な根回しが足りず、各方面から批判が噴出した。西武・堤義明オーナーが「パ・リーグのイメージダウンになりかねない」と難色を示したことをはじめ、巨人・渡辺恒雄オーナーも猛反発で近鉄のもくろみは立ち消えた。 

ドジャースに招待された中村紀とメッツ・松井稼頭央(2004年)
ドジャースに招待された中村紀とメッツ・松井稼頭央(2004年)

 現場では通常モードでキャンプのスケジュールがこなされていった。02年オフのFA争奪戦を経て近鉄に残留した中村紀洋は、2月半ばに右膝手術のリハビリを兼ね、温暖な米フロリダ州で行われたドジャースのスプリングトレーニングに招待選手として参加した。

 そしてオープン戦、シーズンと何事もなかったように日程を消化。ただ、この間も球団の経営赤字問題が解決したわけではなかった。ネーミングライツ売却がご破算になったその先には何があるのか。深く考える空気も感じられない中、驚愕の計画が発表される。

 6月13日早朝だった。プロ野球界に激震が走った。日本経済新聞の朝刊一面で「近鉄球団、オリックスに譲渡交渉」と報じられ、球団合併計画が明るみに出た。

合併に反対するファン
合併に反対するファン

 午前5時ごろ、私が当時勤務していたデイリースポーツの上司、同業者、球界関係者から立て続けに携帯へ着信が入った。飛び起きて神戸市内の自宅から大阪・上本町の近鉄本社に向かった。

 昼過ぎには同本社で会見が開かれ「合併の基本合意」が認められることとなった。野球のニュースを経済紙に抜かれたのは初めての体験だった。いや、あれはスポーツニュースではなく社会的事件だ。

 後に分かったことだが「合併計画」の情報は球団内でもほぼ知らされていなかった。知っていたのはわずか3人ほど。事実、当時の足高圭亮球団本部長(故人)は翌年の助っ人調査のため、関西空港から韓国へと旅立つ予定だった。

近鉄・足高球団本部長(2004年)
近鉄・足高球団本部長(2004年)

 まだまだ残り試合はたくさんあった。しかしもう野球どころではない。自分たちがどうなるのか分からない不安の中、選手もスタッフもグラウンドに通った。

 当時の選手会長・礒部公一は同い年だった。「俺ももうとにかくわけわからんけど、しっかり落ち着いて状況を理解するから。楊枝もちょっとでも情報があったら助けてくれよ」。そんな会話をした。

近鉄の選手会長だった礒部公一(2004年)
近鉄の選手会長だった礒部公一(2004年)

 6月21日には実行委員会が行われ、7月のオーナー会議で合併が承認されればパ・リーグは5球団になる。今できることは何なのか。ここから長い戦いが始まった。