【平成球界裏面史 オリックス・門田博光編】平成元年(1989年)、阪急の身売りによって誕生したオリックス・ブレーブスの1年目は〝ブルーサンダー打線〟の爆発で快進撃を続けた。南海から移籍した門田博光、松永浩美、石嶺和彦、ブーマー・ウェルズ、藤井康雄の長距離砲に加え、小川博文、中嶋聡、本西厚博らがしぶとく脇を固め、序盤から首位を独走。しかし、7月中盤から投手陣に疲れが見え始め、徐々に失速していく。
8月12日には首位を陥落。さらに追い打ちをかけるようなアクシデントが41歳の主砲・門田を襲った。9月25日のダイエー戦(西宮)。3点を追う3回、門田が左翼線に31号ソロを放って本塁に戻ってきた。続く打者のブーマーがネクストサークル付近で出迎え、ともに右手を差し出してハイタッチ。
その直後、門田の表情が苦悶にゆがむ。右肩を押さえてベンチ前でひざまずく門田にあわててトレーナーが飛び出す。球場は騒然とし、ブーマーは打席付近でぼう然と立ち尽くすしかない。反撃ムードは一瞬で断たれ、試合はこの一発だけで1―9と大敗…。
チームメートとしてベンチ前にいた藤井康雄氏は、今もその瞬間を鮮明に覚えている。
「門田さんの右手がガクッとなったんです。まさかの脱臼ですよ。最初は何が起きたのかわかりませんでした。僕もベンチでタッチをしようと思っていたら、一瞬でみんなが青ざめました。門田さんが下を向いて腕に力が入っていない状態でホームインしたところに、ブーマーの手がパチーンと強く来たわけです。ブーマーは腕の力が強いし、なおかつ引っかかってしまった。門田さんが左手で右肩を抑えてへたり込んだんで〝うっそ~〟って思いましたよ。ブーマーもあ然としていました。ある意味、交通事故のような…」
身長200センチ、100キロの巨漢。腕力もハンパではない。「僕もブーマーのハイタッチの強さは知っていたし、本塁打して返って来るときはみんな相手を見てタッチするんですけど…。門田さんは打っても打たなくても淡々としていたし、誰かがサヨナラ本塁打しても盛り上がるようなことはない。近寄りがたいんだけど、そんななかで一番陽気なブーマーが近寄って事故が起きた。門田さんは欠場。チームとしては痛かったですよ」
その年は西武、近鉄との三つどもえの戦いになり、最後はゲーム差なしの1厘差で近鉄に優勝をさらわれた。悔やみきれない僅差の2位。「門田さんの事故が優勝を逃す原因の一つになったかもしれませんね」(藤井氏)
ブルーサンダー打線はブーマーが40本で2冠王、門田が8試合を欠場しながらも33本、藤井が30本と、リーグトップの170本塁打を量産した。門田のアクシデントがなかったら…。〝不惑の大砲〟は翌90年に42歳で31本塁打を放ち、球団を去った。

















