【平成球界裏面史 松永浩美編】平成5年(1993年)11月、阪神から〝史上最高のスイッチヒッター〟松永浩美が国内初のFA選手としてダイエーに移籍した。阪神との交渉の経緯の中で松永が吐き捨てたとされるのが「甲子園は幼稚園の砂場」発言だった。
松永は前年オフに野田とのトレードでオリックスから移籍。スター選手の加入で阪神は〝松永フィーバー〟となり、開幕から6打席連続安打をマークするなど期待にこたえていく。ところが、3試合目で左足を故障すると状況が一変。長期離脱を強いられることになる。8月後半には3試合連続の先頭打者本塁打の離れ業をやってのけたが、終わってみれば80試合の出場で打率2割9分4厘、8本塁打の成績で、11年続いていた規定打席をクリアできなかった。
俊足が持ち味だった松永は日ごろからダッシュがききにくい甲子園の土が柔らかいと不満を持っていた。同じ感覚を持っていた若手選手もおり、負傷の一因ともなっていたことで球団に「もっと硬くしてほしい」と訴えていた。これがグラウンドキーパーを通じて〝暴言〟として伝えられる。期待が大きかっただけにファンの風当たりも強く、歯に衣着せない性格も相まって「ヒール」のイメージが定着していった。
舌禍騒動の真相は…。ある日、松永がグラウンドキーパーに「すいませーん、もう少し硬くできませんか」とお願いすると「いや、柔らかくしてほしいと別の選手に言われていますので…」と言われた。すかさず「その人は試合に出ていない人でしょ。どうして出ている人より出てない人の言うことを聞くんですか」と返すと、会話がヒートアップ。「じゃあ、砂場くらい柔らかいってことですか」「そうじゃなくてわれわれの意見を聞いてくれないんですか!」。
グラウンドの整備状態をめぐって他の選手と意見が分かれ、この問答が騒動に発展した。松永が「砂場」と言ったのではなく、会話の中で出てきたことが一人歩きしたのだが、このイメージが退団するまでつきまとう。
「グラウンドキーパーが言ったことを周りにいた記者が拾ったんでしょう。私が言ったんじゃありません。あんなの『硬くしてくれませんか』『わかりました。考えときます』でチャンチャンで終わる話ですよ。そのことが阪神を出た原因とか、そんなの関係ない。話してもないことを書かれてましたからねえ。足を肉離れした時からもう少し、土が硬ければ、と思っていた。幼稚園の砂場、なんて言ってませんよ」と明かしている。報道はエスカレートし、松永は「人間不信、マスコミ恐怖症になった」という。
プロ球界初となるFA権を行使してダイエーに移籍。新天地で116試合に出場し、打率3割1分4厘と復活。わずか1年で台風のように阪神を去り、伝説となった天才打者は、後年「あれから30年経っても言われるんだから、いいんじゃないですか」と笑って振り返っている。

















