【平成球界裏面史 一茂暴言事件編】川崎市のジャイアンツ球場が衝撃に包まれたのは平成8年(1996年)5月13日だった。巨人は甲子園遠征からの移動日だったが13勝16敗で5位に沈んでいるため、落合博満、村田真一のベテラン組に外国人選手を除き、全体練習が午後3時から行われた。

引退年も筋骨隆々の巨・長嶋一茂(1996年2月)
引退年も筋骨隆々の巨・長嶋一茂(1996年2月)

 そこで怒りを爆発、前代未聞のコーチ批判を長嶋一茂が繰り広げたのだ。ウオーミングアップ、フリー打撃を終えると最後のバント練習へ。走者一塁や一、二塁、スクイズなどの状況を想定して各20球がメニューだった。

 しかし、一茂は無造作にバットを出すだけ。ボールの勢いを殺そうともしない。当然、土井正三守備総合コーチはOKを出さない。すると一茂は「もういいですか」と申し出た。これには土井コーチもカチン。「まだまだ」「こっちまで拾いにこい」と練習を続けさせた。その後も「もういいですか」を繰り返した。約20分続けさせるも、やる気のなさは変わらず最後は「もう帰っていい」と突き放した。

 やっと練習を終えて室内練習場に引き揚げた一茂は、ここで怒りを爆発。

「くだらねえバント練習やらされたよ。何の役にも立ちゃしねえ。一体、何様のつもりなんだよ! いらねえよ! あんなヤツはいらねえ!」

 禁断の首脳陣批判…。近くにいた槙原寛己もさすがにマズイと思って、報道陣に「一流新聞の方たちは相手にしないよね。書かないよね」と事態収拾に動いたが、時すでに遅しだ。

江川卓氏(左)の話に耳を傾ける長嶋一茂(中)、槙原(1996年4月)
江川卓氏(左)の話に耳を傾ける長嶋一茂(中)、槙原(1996年4月)

 土井コーチは「別にいじめていたわけじゃない。一茂のことを考えてやっている。このまま、バントができないでいると(バントの場面で)代打を出されてしまう。損するのは自分なんだ」と説明。ここで「一茂が土井さんを何様のつもりと言っていたが」と質問すると即座に顔色が悪くなり、返ってきた答えが「何様っていわれても…、殿様じゃないしな」。ジョークで返したのだろうが、さすがに笑うことはできなかった。

 実は一茂の暴言には伏線があった。3日のヤクルト戦で2―2の7回無死一塁でバントのために代打・高村良嘉を送られた。12日の阪神戦でも4点リードの6回無死二塁で進塁打を打てずに見逃し三振に倒れていた。〝バントの場面で代打を送られ、あるいは進塁打のサインを出される人間がバントの練習をする必要があるのか〟と思ったのだろう。また、現役時はバントの名手と呼ばれ、こだわりを持つ土井コーチの指導をイジメに感じたのかもしれない。土井コーチが父・長嶋茂雄監督の立教大の後輩で、甘く見ていたか…。

バントの名手だった巨人・土井(1973年).
バントの名手だった巨人・土井(1973年).

 翌14日、横浜球場の監督室で長嶋監督に事情聴取され、罰金50万円を科された。土井コーチへ謝罪したのは暴言から2日後の15日だった。2人でがっちり握手して土井コーチは「あとはお前がグラウンドで結果を出すだけだ」と発奮を促したという。

 しかし、勢いに任せたとはいえ、首脳陣批判のツケは重かった。一茂はこのまま沈んだ。暴言後、先発出場は16日の横浜戦(3打数無安打)、25日の広島戦(5打数1安打1打点)、26日の広島戦(3打数無安打)の3試合にとどまり、28日のヤクルト戦を最後にベンチを温め続けた。6月7日に登録抹消。8月に体調を崩して不整脈と診断されるなど、シーズン中の再昇格はかなわず。最大11・5ゲーム差をはね返した日本列島を熱狂させたメークドラマにかかわることができなかった。

 10月28日に長嶋監督から戦力外通告を受け、翌29日に球団から解雇された。現役続行を希望したが、結局、30歳でユニホームを脱ぐことになった。

納会で落合(左)にあいさつする長嶋一茂(1996年11月)
納会で落合(左)にあいさつする長嶋一茂(1996年11月)

 当時、新人の仁志敏久が三塁に定着。暴言がなくても出場機会に恵まれなかった可能性もあるが、あまりにも寂しい引き際だ。まさに「口は災いの元」だった。(敬称略)

 

 

 

 

 

広島遠征から帰京して一茂くんを抱く長嶋茂雄。右は金田、中央は土井(1967年6月)
広島遠征から帰京して一茂くんを抱く長嶋茂雄。右は金田、中央は土井(1967年6月)