【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(27)】2007年、巨人移籍1年目の僕はわずか1勝(5敗)に終わりました。この年、巨人はリーグ優勝を成し遂げましたが、シーズン通して全く活躍できてなかったこともあって気持ち的には不完全燃焼なままです。せめて日本シリーズで活躍して5年ぶりの日本一に貢献したい。僕はひそかに燃えていました。
ところが2004年のパ・リーグに続いてセ・リーグもこの年からシーズン上位3球団によるプレーオフ制度(クライマックスシリーズ)を導入。第1ステージで2位・中日と3位・阪神が戦い、勝ち上がったチームと巨人が日本シリーズ進出をかけて戦うことになったのです。しかもこのときはまだリーグ優勝チームに1勝のアドバンテージはありませんでした。
ナゴヤドームでの第1ステージで中日は阪神に連勝。東京ドームで行われる第2ステージで先に3勝した方が日本シリーズに出場できます。シーズン終盤は二軍暮らしだった僕ですがクライマックスシリーズでは何とかベンチ入りできました。1999年に中日、01年には近鉄でリーグ優勝していましたが、いずれも日本シリーズで登板することはありませんでしたから「今度こそ日本シリーズで投げたい」という気持ちが強かったですね。
中日は第1ステージ第1戦でエースの川上、第2戦でチームトップの14勝を挙げていた中田が登板しており、第2ステージ初戦の先発は右投手の山井か朝倉だと思われていました。そこで原監督は先発メンバーに左打者7人をズラリとそろえたのですが、これが裏目に出ます。何と中日は第1ステージ第2戦でリリーフ登板していた左の小笠原を中3日で先発起用。ジャイアンツは完全に意表を突かれた形になったのです。
このシーズン、巨人が小笠原と対戦したのは1試合だけとデータ不足の相手でした。しかも巨人先発・内海が4回4失点KOと序盤でリードを許したことでチーム内には動揺が広がります。僕は2―5で迎えた9回に5番手としてマウンドに上がり、1回を無失点に抑えましたが、チームはそのまま敗れて第1戦は中日の勝利。5回1失点の小笠原が勝利投手になりました。
たかが1敗かと思われるでしょうが、この初戦での敗北のショックはめちゃくちゃ大きかったです。落合監督の術中にはまったような感じがしてチーム内には勝てそうな雰囲気がなくなってしまいました。第2戦も先発・木佐貫が4回途中3失点KOされて4―7で敗れると、第3戦も2―4で敗れて3連敗。ジャイアンツは日本プロ野球史上初めてリーグ優勝しながら日本シリーズに出場できなかったチームとなり「日本シリーズのマウンドに立つ」という僕の願いは、またしてもかなうことはなかったのです。












