【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(26)】2006年12月に僕はFA権を行使して横浜から巨人へ移籍しました。ジャイアンツに入って感じたのはやはりメディアの多さです。いつも横浜時代の3倍くらいの報道陣に囲まれていましたし、スポーツ報知は僕を重点的に取材する担当記者までつけてくれたのです。もっとも僕と同時期に日本ハムからFA移籍してきたガッツ(小笠原道大)には全スポーツ紙が担当記者をつけてましたが…。とにかく巨人という球団への注目度の高さには驚きました。

 ジャイアンツは外から見ていると選手個々で黙々と練習しているのかなという印象でしたが、中に入って見ると意外とそうでもない。みんなフレンドリーですんなり溶け込むことができました。特にエースの上原が積極的に声を掛けてくれたのはありがたかったです。

 07年のシーズンに向けて気合十分の僕は原監督から開幕2戦目、古巣・横浜戦での先発を任されました。立ち上がりから絶好調で7回まで無失点に抑えていましたが、8回、古木に一発を浴びて負け投手に。ここから歯車が大きく狂い始めたのです。

 続く4月7日の阪神戦では3回途中4失点KO。しかもこのときに腰を痛めてしまいました。それ以降は思うような投球ができず、5月1日には二軍に降格してしまいます。早く勝ち星を挙げたいと気負っていたところもあったのでしょう。いつの間にか投球フォームもバラバラになってしまい、二軍でもなかなか結果が出ませんでした。

 8月にようやく一軍に上がり、8月7日の阪神戦では6回1失点で初勝利を挙げましたが、結局この年の勝ち星はこれだけ。1勝5敗、防御率5・97と最後まで調子を取り戻すことはできませんでした。

 ジャイアンツは中日、阪神と激しいV争いを繰り広げていましたが、10月2日のヤクルト戦に勝利して5年ぶりのリーグ優勝。僕はこのとき二軍にいたのですが、それでも試合終了前に球場に呼んでもらって原監督の胴上げやビールかけには参加しました。

 優勝したのはうれしかったのですが、胴上げもビールかけも正直、複雑な気持ちでした。MVPに輝いたガッツや谷さんら移籍組が大活躍していたのに、同じ移籍組の自分はわずか1勝を挙げただけ。期待されてFAで獲ってもらったのに思うような成績を残すことができませんでしたから、とにかく申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。

 それだけに、せめてポストシーズンでは活躍して巨人の日本一に貢献したい。とにかく気持ちを切り替えるのに必死でした。ところがこの年からセ・リーグで導入されたクライマックスシリーズで、僕たちの前に立ちふさがったのが落合監督率いる中日ドラゴンズだったのです。