【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(24)】横浜移籍2年目の2005年、僕はキャリアハイとなる11勝(8敗)を挙げ、1998年以来7シーズンぶりの2桁勝利を記録しました。これは牛島監督から投球フォームについてのアドバイスを受けたことが大きかったのですが、もう一つ、チームメートの三浦大輔(現DeNA監督)の影響もありました。

 大輔は僕と同い年で、横浜に移籍するまで話をしたことはなかったのですが、野球に取り組む姿勢や野球観が似ていて、チームメートとして接するうちにいろんな話をするようになりました。2年目からは練習のキャッチボールは大輔とするようになりましたし、キャンプのブルペンではどっちがたくさん投げるかを競い合ったりしました。

 大輔は球はそんなに速くはなかったですが、コントロールや打者との駆け引きは抜群で、打者をどうやったら抑えられるのかという部分で彼のピッチングからは学ぶものがたくさんありました。僕も32歳を迎えるシーズンでしたし、投球スタイルを変えようと模索していた時期でもありましたから彼のピッチングを参考にさせてもらいました。僕はどちらかといえば目で見て学んでいくタイプだったので彼の投球練習を後ろや横からも見ながら勉強させてもらいましたね。

 シーズンに入ってからもどちらかが勝利を挙げると「勝ったよ」「俺も負けないから」と言い合う感じでいい意味で切磋琢磨し合える関係。大輔が勝てば「自分も負けてられない」と思いましたし、大輔が三振を取れば「自分ももっと三振を取ろう」と燃えました。大輔というライバルがいたことで勝ち星も奪三振数もどんどん増えていったのです。

 8月20日の中日戦では8回4失点で9勝目を飾り、これで史上4人目の全球団勝利を達成。9月28日の中日戦では7回1失点で勝利を収めて自己最多の11勝目をマークしました。でも勝ち星以上に注目を集めたのが僕と大輔の奪三振王争いでした。僕は10月11日のヤクルト戦で7回5失点で8敗目を喫しましたが、この時点で174奪三振。セ・リーグの奪三振数トップでした。しかし大輔が次の登板で奪三振数を177まで伸ばし逆転されてしまいます。これでタイトルは絶望的かと思われましたが、シーズン最終戦となった10月14日のヤクルト戦で牛島監督は僕を中2日でリリーフ登板させてくれたのです。3回1/3を投げた僕は三振を3つ奪い、177奪三振。これで大輔とともにセ・リーグの奪三振王になったのです。

 プロでタイトルを取ったのはこのときが最初で最後。自分でも本当に大きな勲章を得ることができたと思います。

 これも僕にチャンスを与えてくれた牛島監督とライバルとして僕を奮起させてくれた大輔のおかげ。この2人には今でも本当に感謝しています。