【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(23)】横浜に移籍して2年目の2005年、僕は充実したキャンプを送ることができました。この年から指揮を執った牛島監督にピッチングフォームの指導を受けたのですが、それがピタッとはまったのです。

 牛島監督はじーっと観察して気付いたことをアドバイスしてくれるタイプの監督でした。僕を抑えではなく、先発として起用すると決めた牛島監督からは「足をあと5センチだけ高く上げてごらん」とフォームの改造を指示されました。イチ、ニのサンではなくイチ、ニーのーサンという感じで、ボールを投げるまでの時間を少し長くするというイメージでしたが、この投球フォームが自分にはすごく合っていたのです。

 球持ちも良くなったし、打者の反応もよく見える。シーズンに入ってからも自分が思ったところにボールをコントロールできるし、それまで以上に三振も取れました。自分の中で勇気というか自信が湧いてくるようなシーズンとなり、僕はキャリアハイとなる11勝(8敗)を挙げたのです。2桁勝利は1998年以来7シーズンぶりでした。

 この年、衝撃的だったのは佐々木主浩さんが8月7日に引退を発表したことでした。突然のことにチーム全員がビックリです。大学の先輩でもある佐々木さんはフォークボールの投げ方を教えてもらったり、スパイクをいただいたりと大変お世話になった方です。まさかシーズン中に引退発表するとは思ってもいませんでしたから本当にショックでした。そして佐々木さんは引退発表から2日後の8月9日、故郷・仙台で行われた巨人戦で最後のマウンドに上がったのです。

 2回に清原さんが打席に入ったところで、牛島監督は佐々木さんをマウンドに送りました。清原さんを追い込んだ後、最後は伝家の宝刀・フォークボールで空振り三振。フルキャストスタジアム宮城(現在の楽天モバイルパーク宮城)のスタンドを埋め尽くした満員のファンから大きな拍手を浴びながら佐々木さんはマウンドを去っていきました。

 佐々木さんの後、3番手として登板したのが僕でした。この球場は僕にとっても東北福祉大時代に投げていた思い出深いマウンドです。でもそれ以上にずっと憧れていた佐々木さんのラストマウンド直後の登板ということで僕も半泣きになりながら投げていました。「佐々木さんの最後の試合だから絶対に勝たなきゃいけない」。そんなプレッシャーの中、必死で投げていましたが、6回に巨人に先制点を許し、そのまま0―1で敗戦。佐々木さんのラスト登板を勝利で飾ることはできませんでした。

 実はこの試合中に僕は1000投球回を達成し、花束を受け取りました。敗戦投手とはなりましたが、思い出の地である仙台で記録を達成できたことはいい思い出になっています。