【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(21)】2001年は8勝(5敗)を挙げた僕ですが、翌02年は壁にぶち当たりました。体調的にもあまり良くなく、ほとんど二軍暮らし。プロ入りしてから初めてシーズン0勝に終わったのです。

 なかなか一軍に上がる機会もなく、一軍に昇格しても敗戦処理に近い形での起用ばかり。この年はずっとモヤモヤした気持ちのままプレーしていたように思います。

 このままではいけない。そう思って03年のキャンプでは走り込みも投げ込みもそれまで以上にやりました。自分ではまだ引退するような年ではないと思っていましたが、今年ダメなら自由契約になってしまうかもしれない。そんな思いもよぎるようになっていました。

 03年は20試合に登板して6勝4敗という成績でした。でも僕としては先発なら10勝が最低ノルマだという考えがありましたからただただチームに申し訳ない、迷惑かけてしまったという思いでいっぱいでした。

 シーズン終了後、球団から呼び出されました。「横浜とトレードになった」。近鉄側が僕と宇高伸次、横浜が福盛和男、矢野英司という2対2の交換トレードでした。僕にとっては2度目のトレード。でも前向きな気持ちでこの話を受け入れることができました。近鉄に来てから4年間、満足できる投球がなかなかできない。だったら環境を変えて新たにやり直そう。そんな気持ちだったのです。

 横浜は山下監督が指揮を執っていましたが、梨田監督と同じように穏やかな方で「頑張ってくれよ」とにこやかに言われました。チームも明るくて、自分に合っているような気がしました。
 さらに04年2月、ビッグニュースが飛び込んできます。メジャーで活躍していた佐々木主浩さんが、マリナーズを退団してベイスターズに復帰することになったのです。日本を代表するリリーフエースが古巣に戻ってくるということで沖縄キャンプは大魔神フィーバーです。佐々木さんといえば東北福祉大の大先輩で憧れの人でもありましたから僕も大興奮です。佐々木さんの代名詞といえば何といっても伝家の宝刀・フォークボール。僕もフォークを決め球にしていましたから、佐々木さんがどういう感じで投げているのか聞いてみたい。そんな気持ちが強くなっていきました。

 とはいえ、大先輩ですからなかなかこちらから話しかけることはできません。キャンプ中のブルペンでは佐々木さんが投球練習を始めると大勢のカメラマンが一斉にシャッターを切ります。とにかく報道陣の注目もすごかったので、話しかけるタイミングも難しいのです。それでもランニング中やたまたま出くわしたときにフォークの握り方を教えてもらいました。ただ佐々木さんは僕と違ってとても握力が強かった(たぶん70~80ぐらいあったと思います)ので同じように投げることはできませんでしたが…。

 しかしシーズンに入ってから予期せぬことが起こります。8月途中から佐々木さんに代わって僕がベイスターズの守護神を務めることになったのです。