【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(20)】2001年9月26日、近鉄は北川が放った劇的な代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランで12年ぶりのリーグ優勝を決めました。前年最下位からの翌年Vはパ・リーグでは初めてのこと。近鉄は12球団最低の防御率でしたが、中村紀とタフィ・ローズを中心とした「いてまえ打線」の大爆発で見事、栄冠を勝ち取ったのです。

 セ・リーグでは若松監督が指揮するヤクルトが優勝。近鉄はまだ日本シリーズに勝って日本一になったことがありませんでしたから、選手もみんな「今度こそ日本一」と気合十分です。僕も初の日本シリーズに向けて燃えていました。

 ところがです。シリーズ直前、梨田監督から監督室に呼び出された僕は第1戦から第5戦までベンチ入りメンバーから外れることを告げられたのです。「必ず大阪に帰ってくるからこっちで調整しておいてくれ。帰ってきたら行くぞ」と大阪ドームで行われる第6戦で先発する可能性があると言われましたが、さすがにガックリときました。

 この年、僕は一度も二軍に落ちることなく123回1/3とチーム2位の投球回数を投げていました。先発は無理でも中継ぎでベンチ入りはできるだろうと思っていましたから第6戦まで出番がないと聞かされた時はショックでした。

 大阪ドームで行われた第1、2戦は他の選手と一緒に練習をして試合は球場のロッカーで見ていました。第1戦はヤクルト先発・石井一の前に近鉄打線は7回一死までノーヒット。北川が何とか右前打を放ちましたが、結局ヒットはこの1本だけで0―7の完敗です。第2戦は中村紀とローズのアベックホームランが飛び出して9―6で逆転勝利。1勝1敗で第3戦から舞台を神宮球場に移しましたが、僕は大阪に残って第6戦の登板に向けての調整を行ったのです。

 神宮での試合を僕は自宅のテレビで見ていました。中日時代、僕はヤクルトとの相性が良く、神宮球場のマウンドも大好きでしたから「自分もあそこで投げたい」とすごく思いましたね。

 でもこのときのヤクルトは強かった。古田さんのリードの前にシーズン中あれほど打ちまくっていた近鉄のいてまえ打線は第3、4、5戦と沈黙。神宮球場で3連敗して、悲願の日本一とはなりませんでした。シリーズMVPは攻守に活躍した古田さんが受賞。2本塁打のタフィ・ローズが敢闘選手賞となりました。

 第6戦の先発に備えていた僕でしたが、結局、第5戦でシリーズは終わり僕の登板は実現しませんでした。僕は1999年にドラゴンズが優勝したときも日本シリーズで投げることができなかったので、今度こそと思っていたのですが、それもかなわぬ夢に…。チームは12年ぶりのリーグ優勝を果たし、日本シリーズに進出しましたが、僕的には不完全燃焼な1年でしたね。