第5回WBCで侍ジャパンが3大会ぶり3度目の世界一を手にした。1か月強という短い期間でそれまで面識もなかった多くの日米トッププレーヤーたちが、最後には「このメンバーで優勝できてよかった」と口をそろえるほどチームは強固に結束し成熟していったわけだが、中でも重要な役割を果たしたのは、栗山英樹監督(61)以下、日本ハム出身の選手、コーチたちだった。
投手陣ばかりかチーム全体をまとめたのはダルビッシュ(パドレス)。自らの調整を犠牲にして、宮崎合宿に初日から参加し、グラウンドの内外で持っている知識や経験を伝授した。
そして圧倒的レベルの二刀流パフォーマンスとその闘争心で、チームを鼓舞した大谷翔平(エンゼルス)の存在は、ライバル国の大きな脅威となった。
この日本を代表するメジャーリーガー2人は、在籍時期こそ重なっていないが日本ハムで背番号11を背負った先輩、後輩の間柄。そして、その2人がこのチームをまとめやすかったのも、栗山監督を中心とした首脳陣の多くが日本ハム出身者で固められた〝チーム栗山〟という環境があったからこそだった。
指揮官を支えた白井一幸ヘッドコーチ(61)や清水雅治外野守備走塁コーチ(58)、吉井理人投手コーチ(57)、厚沢和幸ブルペン担当コーチ(50)、城石憲之内野守備走塁兼作戦コーチ(49)、そして水原一平通訳(38)は、栗山監督が日本ハムの指揮を執っていた2012年から21年までの10年間のどこかで指揮官を支えていた。
特に現在はロッテ監督となっている吉井コーチは栗山監督が就任した12年オフに「監督と全然うまくいかなくて迷惑をかけた。それが選手にも伝わっていた」と言い残し、日本ハムを退団した。
その後、解説者、筑波大学大学院、ソフトバンクの投手コーチを経て15年に再び日本ハムへ出戻ると、栗山監督との同席会見の席で「チームの中にはいろいろな意見があって、そのことは何も思っていない」と過去の確執について触れ、栗山監督も「監督とコーチはすべての意見が合っているわけではない。みんなやるべきことがある。ボクの中では何もなかった」と過去を水に流した。
互いの信念があるからこそ、本気でぶつかり合った2人が指導者としてそれぞれを認め合い、再び侍ジャパンという日本球界の威信をかけたプロジェクトで手を組んだ。
そうした強い信頼関係のある土壌で、日本ハム時代は人を寄せつけない雰囲気のあったダルビッシュが目を見張る成熟ぶりを見せ、チームの精神的支柱となった。
帰国後、ロッテ監督に戻った〝吉井コーチ〟が「ダルビッシュがすごく手伝ってくれて、彼の一言で一気にまとまった。コーチとしては楽な仕事でした」と侍ジャパンを振り返っていたが、そのやりやすい環境を作っていたのは、雨降って地を固めた、吉井コーチら強い信頼関係で結ばれた〝チーム栗山〟の日本ハム的風土があったおかげだと言える。













