【平成球界裏面史・阪神野村監督編】平成13年(2001年)12月5日深夜の日付が変わったころ、兵庫・西宮の阪神球団事務所は報道陣でごった返していた。

 3年間、指揮を執った野村克也監督がスーツ姿で肩をすぼめ「こういう状況では来季指揮を執るわけにはいかない。ファンにも申し訳ないということで、監督を辞任させていただくことにしました。3年間最下位に終わり、私の力でチームを立て直せなかったことは心残りです」と力なく話した。

 同日に沙知代夫人が脱税容疑で東京地検特捜部に逮捕され、東京の自宅から呼び戻される形で阪神球団に姿を見せた。連日のように甲子園で聞かれた〝ノムラ節〟は影を潜め、電撃退任会見は約3分間で一方的に終了。関西に大フィーバーをもたらした名将は「猫しか知らない」と言われる球場内の動線で逃げるように球団を去った。

脱税で逮捕された野村沙知代氏(2001年12月)
脱税で逮捕された野村沙知代氏(2001年12月)

 この年は沙知代夫人の学歴詐称疑惑、女優とのトラブルなどの醜聞が連日ワイドショーで〝サッチー騒動〟として報じられ、野村監督の心労となった。捜査の手がいつ、どこに及ぶか分からない。そんな中でも夫人を信じ続け、4年目のチーム躍進に意欲を見せていた。意識改革も実を結びつつある。秋季キャンプを終え、来季こそは…と決意を新たにした直後の出来事だった。

 野村監督を南海時代から師と慕い、阪神でも打撃コーチとして支えた柏原純一氏はこう述懐する。「野村さんと4年目も一緒にやりたかったけど、球団がそう思うなら仕方ない。先に僕の退団が決まっていたので、野村さんは『仕事決まってるのか』『評論家やるなら俺の方から言ってやろうか』と気遣ってくれた」。

柏原氏(右)は阪神でも野村監督を支えた(2000年)
柏原氏(右)は阪神でも野村監督を支えた(2000年)

 側近として支える一方で、サッチー騒動の火の粉が野村監督に降りかかることを心配していた。

「次第に学歴詐称や脱税疑惑にまで及び、野村さんにも降りかかってくる事態となる。でも、こちらから聞けない。野村さんから聞いたことはなかったけど、ずっと元気がなくて野球どころではない感じだった。もしサッチーに何かあれば、監督を続けられないかもしれない…」

 そして不安は現実となる。野村監督は南海時代の1977年にも沙知代夫人がらみで監督解任に追い込まれ、この時も野村夫妻を献身的に支えたのが柏原氏だった。目の前で同じ退任劇が繰り返され「大変な最後になってしまった。阪神でもか…と。選手も野村さんの考えを実践していくのは時間がかかる。ぼちぼち時間をかけてやっていこう、という時に辞められたのは残念だった」と悔しい思いを口にした。

後任監督となった星野仙一氏(2001年12月18日)
後任監督となった星野仙一氏(2001年12月18日)

 3年間で結果は出なかったが、後任の星野仙一監督が就任2年目の2003年に18年ぶりの優勝を成し遂げた。柏原氏は「野村さんが種をまいて苗を育て、星野さんが咲かせたとよく言われるけど、星野さんも『野村さんの後をやるのは楽だ』って言ってたらしい。楽天の時もそうでしょ。そういう運命なのかな…」としみじみ話している。