【取材の裏側 現場ノート】日本ハム監督時代からの変わらぬ信念だった。指揮を執るにあたり栗山英樹監督の根底にあるのは、選手への尊敬と敬意。それは、代表監督になっても不変だった。指揮官がよく使うフレーズの「信じて、待つ」スタイルを貫き、不振に苦しんだ村上と心中を決め、準決勝の逆転サヨナラ打で復活させたあたりは〝ならでは〟のタクトだった。
監督と選手の関係を「上司と部下」に例えれば分かりやすいが、ハッキリと選手の力不足を口にしていい場面でも、栗山監督はそれをしない。そもそも自分ができなかったことを、選手たちが今、やってくれている。自らは実働7年、通算500試合出場にも満たない選手だった。どれだけ監督で実績を積んでも常に選手へのリスペクトを欠かさない姿勢は、そんな背景があるように思う。日本ハムの監督時代、よくこんなことを話していた。
「俺みたいな実績のない人間がこの世界で生きていくためには、とにかく学び続けるしかないんだ。自分が人にやって見せられなかった以上、しかも監督という人を生かす立場になった以上は、選手という財産を生かすためにも、学び続けていないと絶対ダメなんだ」
そのためには短い睡眠時間でも健康でいられるショート・スリーパーという自分の体質さえも武器とした。
早朝の遠征先。記者が日ごろの痛飲による〝汗出し〟を目的にランニングしていると、チーム宿舎周辺で同じように散歩やランニングで気分転換している栗山監督に出くわすことが何度もあった。
パ・リーグの週末は、ほとんどが金曜がナイター、土日は昼のデーゲーム。ある年の週末、敵地での西武戦。金曜夜にかなりショックな逆転負けを喫した翌朝、宿舎近くの公園の道で栗山監督にバッタリと出くわした朝の後のことだ。デーゲームでの試合前の囲み取材では栗山監督は「いや、もう昨日、一睡もできなくて。それで、今またここにいるんだけどさぁ~」。日本ハムでの栗山監督を取材した記者なら分かると思うが敗戦の翌日ほど、この手の自虐から試合前の囲み取材が始まるのが定番。努めて明るく振るまう様子から「大げさだな」と感じる人も多く実際、記者も初めはそうだった。
だが、その後も遠征先の球場外で栗山監督に出くわすのは、いつも5~7時台の時間帯。ある日の早朝、魂の抜けたような表情で歩いていた栗山監督と遭遇したとき「監督…寝てるんですか?」と率直に聞いてみると「いや実はさ~」と、多いときには週の半分以上、ナイターの試合後でも、何やかんやで夜明けを迎えるという。以来、監督がメディアに自虐で打ち明けるこの手のジョークは、むしろ〝ガチ〟だと思うようになった。
もちろん、ひとり深酒をしているわけではない。日本ハム監督時代の10年間。シーズン中は、誰もが眠りにつく真夜中こそが、栗山監督が〝思考〟を磨く時間だった。試合の映像を見返し、資料を見返し、識者の見解に耳を傾け、歴史上の偉人の本を読み続け…。そんな日々の繰り返しで栗山監督なりの〝選手の生かし方〟を確立させていったように思う。
目の前で起きたことのアップデートを欠かさず「野球」に対して人一倍、研究熱心なそんな指揮官だからこそ、大谷のような前例のない二刀流のスターを生み出すことにも成功したとも感じる。同時に直接、関わりのない他球団の選手からも尊敬されていた。それがどの程度かは、今回、集まったメンバーを見れば分かることでもある。
1990年に現役引退後は「栗さん」の愛称で、長くスポーツキャスターとして活躍後、12年から日本ハムの監督として10年間で2度のリーグ優勝と16年の日本一。それだけでは終わらず、今度は日の丸の監督として、WBCで世界一ときた。コーチ経験もなく51歳でゼロから始めた男の〝挑戦〟は時を経て、世界の頂も手にした。その過程は誰もがマネできるものではなく「野球を極めたい」と欲する尋常ではない探求心と、日々の地道な取り組みの積み重ね。今や誰もが認める名将で、尊敬の念しかない。
(元日本ハム担当・赤坂高志)












