【俺のWBC#14=ソフトバンク・小久保裕紀二軍監督】第4回WBCで侍ジャパンを率いたのがソフトバンクの小久保裕紀二軍監督(51)だ。2013年に初の常設化された日本代表監督に就任。しかし、前哨戦となった2015年のプレミア12の敗戦で厳しいバッシングを浴びることになった。代表監督として日の丸を背負って戦った覚悟、そして重圧について聞いた。
小久保二軍監督が指揮を執った2017年のWBCは、逆風からの船出だった。プレミア12の準決勝で韓国に逆転負け。大バッシングにさらされた。その後の親善試合でも、重箱の隅をつつくような質問を浴びせられていた。
当時、どのような覚悟で臨んでいたのか。「NHKと(評論家の)契約をしてたんですけど、それこそ(1次、2次の)東京ラウンドで敗退しようものなら、大げさではなく、その職はまっとうできないだろうと思っていました。それで視聴者の前で解説はできない。契約を保留にしてました。それくらいの思いで当然引き受けた仕事でもあるので」と振り返った。
プレミア12の敗戦については「右も左も分かっていなかった。ブルペンの準備のさせ方も含めてなってなかった」と責任を背負い猛省。権藤博氏を投手コーチに招へいするなど、出た課題の徹底的な見直しを行った。自身の失敗について言及した敗戦翌日のスポーツ新聞の紙面を書斎に飾り再起を期した。できうる限りの準備を整えた。
チーム編成では所属球団の許可が必要となるメジャー組に不参加が相次いだ。投打の主力と考えていた大谷翔平(当時日本ハム)が、右足首のコンディション不良により出場辞退となるアクシデントにも見舞われた。それでも自ら当事者と話し合いの場を持って意志確認し、国内組では平野、牧田、千賀、筒香、鈴木誠也、秋山といった後にメジャーリーガーとなる選手を集めた。第3回大会は不在だったメジャー組からも青木が参戦となった。
WBCの開始前にはメディアの厳しい論調にも「だんだん慣れてくるし、免疫もできてくる。微動だにしないぐらいのメンタリティーはできていた」。しかし、初戦・キューバ戦の開始直前には激しい胃の痛みに襲われていた。「まあ、潰瘍まではできませんでしたが。2日間くらい食事をとれずゼリーしか食べられなかった」。
東京ドームで行われた1次ラウンド、2次ラウンドは下馬評をくつがえして6戦全勝の快進撃を見せた。手に汗を握る熱戦の連続で「本当に紙一重の試合の連発でしたよ。ヒリヒリしました」。ハイライトとなったのは、小久保監督がオーダー変更に打って出た2次ラウンド初戦のオランダ戦だ。
「相手の先発は(当時ソフトバンクの)バンデンハークで、彼さえ降ろせばという思いがあった。戦略的には左打者を並べて、その時だけは足を使おうと。今でこそ『3連勝してスタメンを変えるなんて』という批判よりも思い切って決断して良かったと思いますけど…。当時は〝めちゃくちゃ〟悩みましたよ」
3回までに5点を奪ったものの、打ち合いとなり延長戦へ。11回にタイブレークで決着した4時間46分の死闘だった。時計の針は深夜0時を回ろうとしていた。瞬間最高視聴率は32・6%を記録。ここから空気感の変化が感じ取れたという。
「あの試合から応援されている感が出てきて。僕に対するバッシングが減ったというより、チームに頑張れという雰囲気に変わっていったのを感じました」
2大会ぶりの世界一の夢はかなわなかった。準決勝、決勝は完全トーナメント。米国に舞台を移して戦った準決勝では、雨の少ないロサンゼルスに雨が降り、スター軍団の米国代表と互角に渡り合いながらも1―2で惜しくも敗れた。小久保ジャパンにとって、前回大会での唯一の黒星だった。帰国後、熱い戦いを見せたチーム、そして小久保監督には温かい声が多く送られた。
3年半にわたり務めた激動の侍ジャパン監督の経験をどう捉えているのか。
「今となってみれば、こうやって野球界にいられるというのはね。いや、いなかったかもしれないので。それが人生の面白さでもありますよね。敷かれたレールだけではなく、違うレールに乗っかってみたら大変な思いもしましたけど。今から振り返ると、いい経験をさせてもらったなという感謝の思いが強いですね」
現在はソフトバンクの二軍指揮官として、若手育成に手腕を発揮している。今回の大会は応援する立場として侍ジャパンを見守る。「同じ野球人として純粋に見てみたいと思うし、夢があるなと感じるチーム編成。簡単に世界一にはなれないですけど、アメリカに1―2で負けたあのシーンは一生忘れることはない。トロフィーを掲げて世界一になっている姿を僕もイメージしながら…。やり返してほしいですね」とエールを送っている。














