【楊枝秀基のワッショイ!スポーツ見聞録】15年ぶりの古巣復帰で精力的なキャンプを過ごしている阪神・岡田彰布監督(65)が連日、メディアをにぎわせている。その指揮官を常に視界に入れながら、陰で支えているのが、昨季まで二軍マネジャーを務め、今季から監督専属となった藤原通広報(43)だ。

 兵庫・神港学園から立命大を経て2001年ドラフト6巡目で阪神入り。前回の岡田政権下では内外野を守れるいぶし銀タイプの選手だった。

 虎の将を支える仕事は厳しい。特に独特の野球眼を持ち〝クセの塊〟と表現してもいい岡田監督専属である。過去にはグラウンド内外で貫く岡田流に着いていけず辞任を申し入れる、または交代を命じられるというスタッフもいた。

 岡田監督は魅力あふれる野球人である一方、負けず嫌いで気難しい性格でも知られる。そういう存在を側で支えるためには体力、胆力、準備力、機転など全ての面で高度な対応能力を求められ、重圧はハンパない。

 就任当時の藤原広報は「一度考えさせてください、とは思ったものの…でもやると決めたらやるしかない」と相当な覚悟を決めていた。そして、その気持ちをより後押ししてくれたのは、誰よりも心強い、ドラフト同期の東辰弥一軍チーフマネジャー(43)だった。

 現役時代には捕手としてプレーし、引退後の07年、08年に岡田監督専属広報を務めた猛者。指揮官からすれば早大野球部の後輩でもあり、あうんの呼吸だった。

 東マネジャーは「(藤原)通から連絡をもらって、僕から伝えられることは全部伝えましたよ」と全面サポート。15年の時を経て、困難な仕事を引き継ぐことができる阪神球団の組織力は見事といえる。

 藤原広報の現役時代、印象に残っている試合がある。2007年9月9日の巨人戦(東京ドーム)だ。7―7の延長10回一死二塁から鳥谷敬の適時三塁打で勝ち越し。続いて打席に立った途中出場の藤原は上原浩治の高め直球に食らいつき、執念で右前に落とした。

 2点リードのその裏、絶対守護神で10連投の藤川球児が1点を失いながらも40セーブ目を挙げ、10連勝で首位に立った。藤原の1打点が効いて勝ちをつかみ取った。だが、翌朝のスポーツ紙には「球児」「鳥谷」の見出しが躍る。藤原の活躍は大きい記事にならなかった。それでもいなくてはならない脇役的存在だった。

 コロナ禍も落ち着き、取材現場にも以前のような活気が戻りつつある。日本で最も多く取材陣が殺到する阪神の監督専属広報の仕事はハードだ。気難しい知将と手ごわいマスコミとの橋渡しをする藤原広報も、念願のアレ(優勝)への鍵を握る人物であることは間違いない。

☆ようじ・ひでき 1973年生まれ。神戸市出身。関西学院大卒。98年から「デイリースポーツ」で巨人、ヤクルト、西武、近鉄、阪神、オリックスと番記者を歴任。2013年からフリー。著書は「阪神タイガースのすべらない話」(フォレスト出版)。21年4月にユーチューブ「楊枝秀基のYO―チャンネル!」を開設。