【今村猛 鉄仮面の内側(8)】1年目の2010年は本当に環境に慣れるだけで終わった印象でした。一軍では2試合に登板しただけ。いずれも序盤で降板してしまうという内容でした。

 2年目は少しは周りが見えてきたんでしょうね。当時はまだ20歳になるころでチーム内に派閥があったのかとか、そういうのも分からなかったですし、あったとしてもどこにも属していませんでした。

 先輩たちに投球スキルを聞いたりとかする方でもありませんでした。あれはどうやってやるんだろうなどと思ったことはありましたが、聞くことはなかったです。

 でも、自分で試してみて本当にどうしても分からないことがあったら聞いてはいましたけどね。当時のチームには3歳年上の前田健太さん(ドジャース、ツインズ)がいました。僕が入団した10年に4年目で15勝、最多勝を獲得していました。

 よく見てました。あの独特な投げ方というかタイミングの取り方。左足の使い方とかすごい独特に見えてマネしてみたりしましたね。歩き方もマネしたりしました。あの独特なぴょんぴょんと跳ねるような歩き方。

 投球のメカニズムでは大竹寛さん(巨人へ移籍)も参考にしました。自然な型での体重移動からスムーズに投げるフォームを参考にさせていただきました。

 投げることももちろんですが、走るフォームとかもマネしたりしましたよ。いい選手はカッコいい走り方をしますからね。走るのは梅津智弘さんのフォームがきれいでしたね。

 そんなこんなで2年目を迎えたわけですが、チームとしては僕を先発として育成する方針でした。キャンプからオープン戦と順調に結果を残して開幕ローテ入りも可能な状況にあったんです。

 ただ、一軍の開幕前にウエスタン戦で投げることになり、そこで右肩が少し痛いということになりまして…。少し投げただけで降板ということになったんです。結果的に開幕一軍には入ったんですけど、ローテ入りはならず。交流戦の頭まではだましだましで投げる感じが続きました。

 そんな中、4月16日の巨人戦(マツダ)ではプロ初勝利を挙げることになります。先発のジオ・アルバラードが4回途中に負傷降板。まったく準備もしていない状況でしたが、僕が緊急登板する形になりました。

 そこから7回までの3回1/3を6安打されながらも無失点。あの日は自分の20歳の誕生日の前日だったんです。19歳のうちに初勝利という形は終えたと思ったことが印象に残っています。

 ウイニングボールは両親に贈りました。日付とプロ初勝利と自分のサインをボールに書いたと思います。

 この2年目には54試合に投げることになるのですが、たくさん試合を経験するといろんなことが起こることも学びました。5月の交流戦で僕はなんと打者として試合出場することになるんです。