【今村猛 鉄仮面の内側(7)】2010年8月18日の一軍デビュー戦はボコボコでした。不運だったと野村謙二郎監督や周囲の方々から言ってもらえましたが、僕として単純に力が足りないなという感じでした。

 一軍登録されて即、ヤクルト戦で先発です。失策絡みと四球などでいきなり無死満塁の大ピンチです。ここで4番の畠山さんを打席に迎えたわけです。

 場面からしてどうしてもストライクを取りにいかないといけない場面でした。それは誰が見てもそうですよね。僕はこの場面で甘く入ったスライダーをレフトスタンドに満塁本塁打されてしまいます。地に足つかずの状況から気づけば4点取られていました。

 2回を投げ4安打2四球で4失点。野村監督には「野手が足を引っ張った部分もあったのでかわいそう」とかばってもらえましたが結果は結果で変わりません。これは実力なんです。ただ、不運だったという判断もあり次週の阪神戦でも先発のチャンスをいただきました。ただ、その当時の猛虎打線は強力ラインアップだったんです。

 8月25日の阪神戦(京セラ)です。2010年の阪神打線は本当にすごかったですね。普通に強かった。当時の打線はシーズン200安打経験者のマートン、打率3割5分以上を経験されている平野恵一さん、名球会の鳥谷敬さん、現カープ監督でこちらも名球会の新井貴浩さん、自己最多47本塁打のブラゼル、鉄人・金本知憲さん、そしてあこがれのメジャーリーガー・城島健司さんという強烈な面々が並んでいるんです。

 長崎・佐世保出身であこがれの存在、城島さんとの対戦を楽しむ余裕なんてもちろんありませんでした。

 僕は2回3安打4四球3失点で降板となりました。その後は乱戦となりトータルで被安打20、22失点という大味な試合になってしまいました。7回に7点、8回には10失点という具合で1イニングに大量失点です。試合時間も4時間16分。両軍合わせて37安打、7本塁打という記録的試合になってしまいました。

 自分が流れをつくれず先輩たちに大変な思いをさせてしまいました。ルーキーイヤーは一軍ではこの2試合のみの登板で0勝1敗、防御率15・75という成績に終わりました。ウエスタン・リーグでは先発ローテを任され13試合で4勝4敗、防御率4・81という成績でした。

 自分で振り返ってトータルで見て評価するとなるとどうでしょう。新人の時は本当に何も考えてなかったのかなと思いますね。練習をこなすこと、野球だけの生活に慣れるのにいっぱいいっぱいだったと思います。
 高校は自宅通いでしたし寮生活も初めてでした。自己アピールなんてできていなかったですかね。特に誰かとたくさんしゃべるということもなく、環境に慣れることだけに必死だったという印象ですねえ。

 幸運なことに周りは社会人出身とか年上の選手が多かったので、先輩たちに良くしてもらったのはすごく印象に残っています。年齢が10歳くらい離れている先輩たちにすごくかわいがってもらえたのを覚えています。

 それくらいですかね。僕自体はというと空っぽでした。ただ、野球をやるだけでした。