【今村猛 鉄仮面の内側(5)】 2年生の夏、新チームになってから長崎県大会、九州大会に優勝して3年春のセンバツに出場。5試合すべてに登板し、防御率0・20という出来過ぎの内容で春の甲子園優勝投手となることができました。
現在、MLBで活躍している花巻東・菊池雄星と1―0のゲームを投げ勝ったことは今でも素晴らしい思い出です。長崎県勢では春夏を通じて初優勝ということで、母校の名を歴史に刻むこともできました。
こうなると当然、夏の大会も注目を浴びることになります。センバツ優勝校として見られることになります。そんなに意識したとは思わないのですが、意識していたんでしょうね。
結果で言うと夏の長崎県大会では準々決勝で長崎日大に負けてしまいました。2009年の7月22日のことでした。広島カープで後にチームメートとなる大瀬良大地と投げ合って、敗戦投手になりました。
もう忘れかけてますけどねぇ…。立ち上がりのあっという間に僕が2失点してしまったんです。先頭打者を投ゴロに抑え、次打者は空振り三振。いつも通りの立ち上がりのはずだったのです。でも、それが振り逃げとなって出塁を許してしまいました。
3番には直球を左前に打たれ一死一、三塁。ここで4番に甘く入ったスライダーを左中間に2点適時二塁打されました。これがこの夏の初めての失点でした。
この出来事はプレーボールから10球投げないうちに起こったことなんです。気づけば2点を失っている状態。相手は追い込まれる前に変化球を狙う作戦だったと思います。
当時は最速152キロ右腕と言われ注目されていました。報道では、剛球を封印し制球とリズム重視の投球で勝ち上がってきたと書かれていました。夏は勝ち上がるほどに連投もあるし、直球の確率が低くなると予想されていたのでしょうか。
いきなり2点のビハインドを背負うと、大瀬良からはなかなか点を取らせてもらえません。センバツでは菊池雄星のボールに驚きましたが、大瀬良大地もすごいんですよ。
身長も大きいしフォームもすごく上から投げてくる感覚なんです。「これどうやって打ったらいいの?」「バットのスイング軌道と合わせられないじゃん」と感じたのを覚えています。菊池は斜めから内角にドン。大瀬良は上からドスン。そんなことを思っているうちにどんどん試合が進みました。
その試合が行われた日には皆既日食があったんです。昼間なのに球場の照明灯が点灯していて、何となく自分もフワフワした感じになっていました。日食に気を取られている時点で集中できてなかったんでしょうね。
最後の瞬間は僕がネクストバッターズサークルにいた状態で訪れました。ああ、そういえばこんな場面、見たことあるなあ。こんな感じで終わるんだなあと思ったのを覚えています。
試合終了後のベンチではみんな泣いてましたね。僕はなんか申し訳なくて、自分の詰めが甘かったから負けたんだと思って最初は泣けなかったです。当時の報道では「今村が泣いた」と書かれているんですけどね。結局、スコアは1―3で負け。最初の2点がそのまま響いた形です。
みんなに申し訳ない。チームを背負っているような気持ちになっていたのかもしれないです。そしてゆっくりしている間もなく夏が終わり、数か月後にはドラフトを迎えることになります。












