【今村猛 鉄仮面の内側(2)】 広島カープで2010年からの12年間、投手として在籍させていただきました。プロ野球選手というと子供のころからガキ大将、みたいなイメージもあるかも分かりませんが、僕はそんな感じではありませんでしたね。
子供のころから運動神経がずばぬけていたとか、そんなことを親から言われたこともありません。でも、小学校を卒業するころには身長が170センチと少しくらいありました。
野球を始めたのは小学3年生です。父の影響や祖母からの勧めでスタートしました。遊撃手と投手を兼任です。少年時代にこのパターンは野球センス抜群とか言われるんですが、自分ではそんなイメージはなかったです。そこまで目立つ存在ではなかったと思います。
どちらかといえば、基本的には投手というより内野手として試合に出る方が多かったですね。中学に上がってもそうでした。いわゆる硬式のクラブチームではなく、地元の小佐々中学の軟式野球部に入部しました。
1つ上の学年にいい投手が3人もいたので、中学でも内野です。サードが多かったかな。1年生の夏、3年生が抜けて新チームになった時には3番を打たせてもらうようになりました。同じ学年で試合に出ていたのは僕だけでしたね。
僕が2年生の時には母校が九州大会で優勝し、全国大会に出場。この時点で上級生が引退したので、僕はようやく投手になりました。そしてその年のオフ、僕は地元のスーパースターと対戦することになるんです。
佐世保出身で当時、ソフトバンクに所属していた城島健司さんが、寺原隼人さんと一緒に野球教室を開催してくださいました。そこに参加させてもらい、実際に城島さんと対戦したんです。結果は内角をえぐった直球が脇腹に直撃する死球です。笑顔の城島さんに相当に追いかけ回されて必死で逃げました。今となっては本当にすごくいい思い出です。
このエピソードはかなり有名かと思うんですが、改めて紹介しておきます。城島さんは本当に佐世保でいえば、みんなのあこがれの存在ですよ。まだ僕の直球だって125キロとかそんなもんだったでしょう。プロの頭角なんて現す全然、前の段階です。そんな時代に対面できたのも何かのご縁なんでしょう。
城島さんは周囲に「あの子はプロに行く」と言ってくれていたそうですね。高校時代の甲子園での映像も「佐世保から何人もプロに行くこともないだろうし」と、地元の後輩としてアメリカからチェックしてくれていたそうです。プロ1年目の10年には本当にプロで対戦もしています。対戦前に広島担当記者の方々から「楽しみか」と取材され「怖いですよ」と答えました。1打席で三塁ゴロと記録されていますが、僕は2回3失点で降板しています。
中学時代、そこまでの注目を浴びてはいなかったはずの僕。高校から多くのスカウトが来ていたかどうかも知りませんし、自然な流れで進学先として清峰高校を選びました。入学したころは130キロくらい出ていたと思います。
140キロ出たのは夏の県大会が終わって新チームで動き始めたころだったはずです。広島遠征に行って広陵と練習試合した時に相手チームのスピードガンで測ってくれていたようです。本当にそんなに目立つ存在ではありませんでした。清峰を選んだ理由も皆さんが聞くと「なんだよ」と思うようなことでしたし。












