1日に死去した〝燃える闘魂〟アントニオ猪木さん(享年79)の追悼連載「猪木自身が語った名勝負10番」第6回。〝超獣〟と運命の初遭遇に、生前の猪木さんが語っていたこととは――。

【猪木自身が語った名勝負10番(6)】1985年4月18日、東京・両国国技館で〝超獣〟ブルーザー・ブロディと一騎打ちした。

 ブロディは79年に初来日し、全日本プロレスに参戦。タイトル戦線に絡んでインターナショナルヘビー級王座を獲得するなど、ドリー・ファンク・ジュニア、天龍源一郎、ジャンボ鶴田らと激しい抗争を繰り広げた。

 特にスタン・ハンセンとの「超獣コンビ」は猛威を振るい、83年の世界最強タッグ決定リーグ戦で優勝し、翌年新設されたPWF世界タッグ王座で初代王者となった。王道のマットで絶大な人気を獲得していたブロディだが85年、ライバル団体の新日本に電撃移籍し猪木に宣戦布告を放つ。

 そんな超獣をこの日、迎え撃った猪木だが、試合前にブロディから控室で襲撃を受けるなど苦戦。結果は両者リングアウトだったものの、ブロディの規格外のパワーに苦しめられ、最後は場外で、パイルドライバーで突き刺されるなど新日本ファンにその凶暴なキャラクターを知らしめるに十分な展開となった。

 ブロディについて猪木さんは「最後は刺されてね。全部じゃないけど、もめて試合をキャンセルしないといけないようなことも、あったよね」と告白。88年7月にプエルトリコで交渉中に口論になり、刺殺されたことを引き合いにコントロールの難しい相手だったという。

 ギャラ交渉が困難な〝タフ・ネゴシエーター〟だったことで知られるが「(普通は)誰かマネジャーがいて、ちゃんと交渉できるんだけど、ブロディの場合は(本人が行った)。だから(交渉の席に)俺が乗り込んでいくしかない。(求めているのは)ギャラなのか何なのか。それ(交渉)がアイツは得意で。とにかく頭がいいんで」。舞台裏での〝戦い〟でも苦戦させられていたのだ。

▽スペシャルマッチ(60分1本勝負)
▲アントニオ猪木
26分20秒
両者リングアウト
ブルーザー・ブロディ▲
(1985年4月18日、東京・両国国技館)