1日に死去した〝燃える闘魂〟アントニオ猪木さん(享年79)の追悼連載「猪木自身が語った名勝負10番」第3回。必殺のダブルアームスープレックス(人間風車)を引っ提げて挑戦してきた欧州最強のテクニシャンに対し、猪木は自身の代名詞と呼べる必殺技で対抗。生前の猪木さんが語っていたビル・ロビンソン戦とは――。
【猪木自身が語った名勝負10番(3)】1975年12月11日の蔵前国技館大会で、NWF世界ヘビー級王者のアントニオ猪木は〝人間風車〟ビル・ロビンソンと激闘を繰り広げた。
60分3本勝負で行われたタイトルマッチは、序盤から両者のレスリングテクニックが交錯。一進一退の攻防となる。引き分けでも防衛の猪木としては1本目を先取したかったが、なかなかチャンスを見いだせず、逆に40分過ぎに一瞬の隙を突かれて、逆さ押さえ込みで先制を許した。
この後は、逃げ切りを狙うロビンソンを追う展開となった。ここで猪木が出したのが卍固めだ。残り数分のところで捕獲すると、危険と判断したレフェリーがゴングを要請し猪木に軍配。このまま1―1の60分フルタイムドローで王座防衛となった。
自身の代名詞となった卍固めについて「使っているのを見るとわかると思うけど、2段階の決め方があるんだよ。写真を比べてみたらわかるよ。(この試合の卍固めを見ながら)これはもっと(厳しく)いけるんですよね。このまま横になっちゃえば…」と説明した。
この試合は新日本プロレス史上初めての60分引き分けとなった。「今なんかと条件が違うから。テレビ中継なんかだと、ライトが熱くて…。マットが下で焼けてるんだから。その点では今の体育館は空調も入っているし、リングの照明もそこまで熱くないし。その中で60分っていうのは相当な…」と懐かしんだ。
厳しい環境でのファイトを支え、最大の武器となったのが無尽蔵のスタミナだ。「屈伸運動が基本で、あとは夜によく走りましたね。(自宅)マンションの時は多摩川とか。(遠征時も)公園とか、どこか走れる場所を探していました。それはニューヨークでもロスに行ってからも。時間を見つけては走っていたね。大体、往復1時間の距離をね」。日々の積み重ねの重要性を強調した。
▽NWF世界ヘビー級選手権(60分3本勝負)
〈王者〉
△アントニオ猪木
1―1
〈挑戦者〉
ビル・ロビンソン△
①ロビンソン 42分53秒 逆さ押さえ込み 猪木
②猪木 16分19秒 卍固め ロビンソン
③時間切れ
(1975年12月11日、新日本プロレス・蔵前国技館)












