ジャパン女子プロレス、LLPW(現LLPW―X)で活躍した元人気プロレスラーの風間ルミさん(本名斉藤ルミエ=享年55)が、昨年9月に死去してからちょうど1年。今年3月に風間さんの思い出が詰まった東京・後楽園ホールで追悼興行を成功させた盟友、神取忍(57)は何を思うのか。本紙の単独インタビューに応じ、この1年を振り返るとともに、盟友の遺志を継ぎ「還暦武道館」を目標に「新人発掘」に力を入れていることを明かした。 

 ――風間さんが亡くなって1年がたった

 神取 家で1人で亡くなったから、見つかってからそのまま警察の遺体安置所に運ばれた。そこで会ったから信じられなくて。ずっとおなかが痛いとは言っていたけど、とにかく注射が大嫌いだし、コロナもあるから病院に行かなかったんだよね。普通の人より痛みに強いだろうから、大丈夫と思っちゃったのかも。

 ――最後の姿は

 神取 食欲がなくて二回りくらい小さくなっていたんだよね。面倒見てくれていたスタッフの子が「これだけでも食べて」って、ご飯を持って行って。あんまり具合が良くなさそうだったから、救急車を呼ぼうとしたけど「救急車は呼ばないで」って言われて引き下がっちゃった。それが最後。その時乗せられていたらって…。1年たっても悔やまれる。

 ――3月の追悼興行は大成功に終わった

 神取 周りからは「お別れ会だけでもいいんじゃないか」と言われたけど、デビューも引退も後楽園ホールでやったから後楽園ホールで、と思っていた。たくさんの人が集まってくれたのは風間の人徳だろうね。

 ――風間さんは社長としても神取さんを支えた

 神取 自分が女子で初めて総合格闘技の「L―1」に参戦したときも、外国人とのブッキングを全部やってくれた。風間は表にも出るけど、縁の下の力持ちのような存在でもあった。義理人情に厚い人だったね。

 ――風間さんはプロレス界に変革を与えた

 神取 当時は身長160センチ以上で、かつ体重60キロ以上ないと書類で落とされる時代。風間は153センチの小さい体で戦って、女性初のプロレス団体社長を務めた。確実に女子プロレス界の固定観念を変えた存在だった。

 ――その遺志を受け継ぐ

 神取 もちろん。プロレスは人に夢を与えたり、メッセージを伝えられるスポーツだから。自分ももうすぐ60歳。普通の60歳ってあきらめることが多くなるけど、武藤(敬司)さんが去年、GHCの(ヘビー級)ベルトを取ってチャンピオンになったことで勇気をもらった。だから3年後の60歳で日本武道館大会の開催、「還暦武道館」を目標にしたいと思っている。女子で初めて格闘技に参戦し、今まで先回りして大きいことを言ってきて、かなえてきたから。今回も口にしないと、かなわないからね。

 ――今後の団体としての活動は

 神取 うちはプロレスに限らず、音楽でも芸能でもやってみて自分に合ったものを選択するスタイル。プロレスっていう「文化」を利用して発信していく。主催の大会はコロナでできていなく、なかなか難しいよね。今年で37周年とかになるけど、水面下で今後の大会も着々と計画している。

 ――LLPWとして新人獲得に動き出した

 神取 今、練習生が6人いる。あと10人は増える予定かな。どこから集めた? それはまあ、知り合いの紹介とか…。企業秘密だよ!(笑い) 全然、新人を育てるつもりなんてなかったけど、新しいことをしないと。これからどんどん、スカウトに行くつもり。井上貴子と自分で、それぞれスカウトしてきた子たちを対決させたりね。

 ――どんな選手を入れるのか

 神取 最近はアイドルからプロレスに上がる子も多い。それはそれでいいけど、自分みたいに柔道からみたいなアスリート出身が少ないから。全国にスカウトしに行こうと思う。柔道とかレスリングとかやってきた子はみんな総合格闘技に行っちゃうからね…。

 ――例えば、東京五輪柔道金メダル阿部詩のようなスター選手も…

 神取 いきなり、そこ行っちゃう?(苦笑い) でも、いいね。来てくれるかわからないけど、大物にもね。