ジャパン女子プロレス、LLPW(現LLPW―X)で活躍した元プロレスラーの風間ルミさん(本名斉藤ルミエ=享年55)が死去し、マット界は深い悲しみに包まれている。風間さんはプロレス界初の女性社長としても辣腕を振るい、「自立した女子」の象徴だった。なぜ、こんなにも早く天国に旅立ったのか。本紙の取材に応じた同期の神取忍(56)が、風間さんの原動力であり、災いともなった〝ある性格〟を明かし、唯一無二の盟友の死を悼んだ。

 風間さんの訃報がLLPW―Xから正式発表されたのは22日のことだった。周囲と連絡が途絶えていたことを心配した友人が都内の自宅を訪ねたところ、部屋の中で倒れている風間さんを発見。病院に搬送され、死亡が確認された。

 警察は事件性がないと判断した上で病理解剖にて死因を特定中だが、23日までに結果は出ていない。23日には風間さんとの「最後のあいさつの場」が設けられ、生前に親交があった選手、関係者が弔問に訪れた。

 LLPW―Xの社長として対応した神取は「うそだろって。人間はビックリすると動揺するんだなって感じた」と一報を受けた21日の心境を振り返る。当初は情報が錯綜し、確認に時間がかかった。22日午前に警察の安置所で遺体と対面し、現実を受け入れるしかなかった。

 神取にとって盟友であり戦友だった。1986年にジャパン女子プロレスに同期入門。風間さんが92年に旗揚げしたLLPWでも行動をともにした。「一番の思い出って、新人のころからいろんなことがありすぎるから。35年だもん。やっぱり同期だから気持ちが緩くなる。だからケンカばかりして、仲直りしての繰り返しだった」と語る。

 風間さんは2002年にLLPW社長の座を神取に譲り、03年8月に現役生活にピリオドを打った。「最近は食育とか健康とか、あと『風の時代が来る』ってエネルギーの問題かな。そういうのに興味を持っていた。人のためにというのがあったね。プロレスが第1ステージだとしたら、今は第2ステージの途中で。だからこんな形になって悔しい」

 引退後も交流は続き、毎年5月には東京・浅草神社「三社祭」に一緒に参加するのが恒例だった。だがコロナ禍により2年連続で中止となり、今年3月27日に東京・靖国神社で行われたゼロワン「奉納プロレス」で対面したのが最後となった。

 この時、風間さんの体調に異変があることを感じた。「靖国の時もそうだったけど『おなかが痛いんだよね』と言っていた。『病院に行ったほうがいいよ』と言ったんだけど、注射が嫌いで行かなかった。それにこういう時期(コロナ禍)だから病院に抵抗があったのかなって。そこが悔やまれる」と声を落とす。

 死の直前、風間さんは自身のツイッターに「久々にジワジワきている子宮内膜症の痛み。この痛みのため、全く何も手をつけられません」(8月30日)、「痛みは薬でおさまってるけど、今回はかなりの月経過多で貧血。買い物に行こうとしたんだけど、クラクラして動けない」(同31日)と体調不良だったことを明かしている。

 神取が感じる風間さんの性格は「我慢強い。小さいんだけど、ガッツは人並みを外れている」。だからこそ「タラレバになっちゃうんだけど、あの時ああしていればって、みんな思っている。変に我慢強くて自分でっていうのがあるから。ちょっと(周囲がサポートを)してたら変わっていたのにって」と悔やんだ。

 ただしプロレス界に風間さんが残した功績は大きい。「35年前は160センチ以上が普通だった女子プロの中で、153センチの小さな体はあり得なかった。その既成概念を壊した。それがあるから、今は小柄な選手でもできる。気合とか根性、勇気で歴史を変えたよ」

 葬儀は家族葬にて執り行われる予定で「ファンの方は、今度お別れの会みたいなのをするので、みんなで見送ってほしい」と呼びかけた。最後に神取は「本当ならまだ10年、20年って生きられた。『亡くなっちゃって~』って起きてくれたらいいよね」と静かに口にした。誰からも愛された、小さな巨人の雄姿は永遠にファンの記憶に刻まれる。