【取材の裏側 現場ノート】オリックスは能見篤史投手兼任コーチ(43)が今季限りで現役を引退すると15日に発表した。プロ18年目の現役最年長投手として臨んだ今季は4試合の登板にとどまっていた。通算成績は15日時点で473試合104勝93敗4セーブ、防御率3・35。16日に記者会見が予定されている。そんなベテラン左腕との思い出を、元虎番記者のフリーライター・楊枝秀基氏がつづった。

 結果を出せなければクビ。そういう状況から脱却した下積みの苦労は、今後の指導者としての人生に必ず生きてくるに違いない。阪神で16年、オリックスで2年、球界に貢献してきた左腕は、多大な苦労を乗り越え引退を自ら選べる立場を勝ち取った。

 04年の阪神ドラフト1位。リーグ優勝した05年に新人として4勝を挙げた。一軍投手としての資質は十分。だが、その後は伸び悩み、苦悩の時代を過ごした。

 入団4年目の08年はついに一軍未勝利。岡田阪神最終年となったこのシーズン、チームは快進撃を続けた。最後は巨人に大逆転で優勝をさらわれた。この激戦の中で戦力になれなかった悔しさ、危機感は相当なものだったはずだ。

 ウエスタン・リーグでは守護神として奮投。29試合で5勝11セーブ、防御率0・83とレベルの違いを見せつけた。

 当時の星野伸之二軍投手コーチからは「一軍でもそうやってゆったりしたフォームで打者を見下ろして、自分のタイミングで投げればいい。何で一軍だと一生懸命なあまり、力んでリズムが単調になるんだよ。二軍の時と同じように投げるんだよ」とアドバイスを受けた。

 だが、一軍では11試合、11回1/3で6与四球、被安打15、防御率4・76と振るわず。ファーム行きを告げられた際、当時の久保康生投手コーチとベンチ裏で対話し涙を流した。

「もうこれ以上、何をしたら良くなるんですか…」

 努力の限りを尽くした。引き出しは空っぽだ。練習も人一倍こなした。誰が見ても美しいフォーム。綺麗な球筋はプロでも見惚れるほどだった。それでも打たれてしまう。まさにもがき苦んだ。

 ただ、ここが能見の転機だった。当時、セットアッパーだったジェフ・ウィリアムスに弟子入り。少し腕を下げスリークォーター気味のフォームを習得した。右打者の内角を鋭くえぐる直球と、同じ軌道で落ちるフォークを武器に09年は13勝を挙げた。

 当時、巨人の主力だったアレックス・ラミレスは「能見さんのインコースは打ちにいけば詰まる。見逃したらストライク。追い込まれると同じところからストンと落ちる。ノーチャンスだよ」とお手上げだった。

 その後の能見の快進撃は野球ファンの記憶に新しいところだろう。現役晩年はチームの戦力としてだけではなく、若手の指導にも親身になって携わった。

 かつては「高校左腕三羽ガラス」として謳われた。平安の川口知哉(オリックス)、水戸商・井川慶(阪神、ヤンキース、オリックスなど)、そして能見だ。この中で最も長く活躍できたのは、プロ入りが一番遅かった能見だった。

 筆者がフリーに転向した際、とあるテレビ局の休憩室で談笑した時の言葉を覚えている。

「立場がどう変わろうがその人が変わるわけではない。そりゃ僕にも苦手な記者の方はいますけど、楊枝さんはその中には入ってませんよ。心配しないでください」

 苦難を乗り越え、一時代を築いた偉大な左腕。同じ時代に生き、ナマの声を聞けたことを誇りに思う。