【越智正典「ネット裏」】斎藤雅樹(巨人二軍監督)がプレーヤー部門で殿堂入りした。見事な戦績である(通算180勝11セーブ、1989年11連続試合完投勝利、90年セ・リーグMVP、最多勝5回、最優秀防御率、最高勝率各3回、最多奪三振、それに沢村賞3度)。

 1月18日、発表の日、堀内恒夫が立会い人だったが、熱血教育の巨人軍寮長武宮敏明(故)がお元気だったら素晴らしい立会いになったであろう。

 市立川口高の投手斎藤雅樹が巨人にドラフトされたのは荒木大輔、“大ちゃん”人気の82年秋であったが斎藤は荒木のハズレ1位だった。

 83年入団。その秋の日本シリーズは巨人西武が激突。西武球場で始まり、1勝1敗。舞台が後楽園球場に移る“移動日”の10月31日、武宮は後楽園での一軍練習に二軍選手を動員した。若い選手にすべてはチームの勝利のために…と教えるためであった。また、こういう機会に一軍の練習を改めて目の前で見させるためであった。

 武宮の教育は野球の練習だけではなかった。オフ、一軍選手の結婚披露宴に二軍選手を受付に送り出した。彼らは受付で気を付け。来賓を迎えると、“きょうはありがとうございます”、一生懸命お辞儀をする。世の中を覚えるはじめである。来賓の顔と名前を覚える。“この方は読売新聞社の写真部長さんなんだあー”。“この方は先輩がお世話になっているスポーツ専門のお医者さんなんだあー”。一軍にあがってから彼らにあやしい人物が近づいてきたときにこの体験が役に立つ。見分けが出来る。寮生王貞治が初めて礼服を作ったのは先輩投手の結婚披露宴の受付に派遣されたときである。いい機会だからと新調した…。

 斎藤雅樹はその練習当日、任務は球ひろい。レフトスタンドにも、ライトスタンドにも二軍選手が配置されたが彼の受け持ちは2階席であった。2階には打撃練習のファウルの打球はそうは飛んで来ない。が、彼はいまか、いまかと待ち受けていた。飛んでくるとそれはうれしそうに走った。それはまるでトンボを追いかける少年のようであった。ボールがドスンと落ち、椅子と椅子の下などに転がってから歩いてひろいに行くのではなかった。私にはあの日の彼の目の輝きが忘れられない。未来は身近にあり…である。

 こうして一軍に上がった彼はマウンドで、プレートの泥を実によく、丁寧に払った。私が見たかぎりだが、それまでマウンドで足許をいつもキレイにしていたのは、福島県三春町出身、田村高、中央大、川崎トキコ、社会人全日本・デトロイト大会日本優勝のMVP、大洋ホエールズの左腕鈴木隆である…。斎藤にも鈴木隆にも、武宮にもいいプレーを見せてもらった。斎藤雅樹の、うれしい殿堂入りである。=敬称略=(スポーツジャーナリスト)