破壊王魂を貫け――。10日の「押忍プレミアム興行」(東京・両国国技館)は、ゼロワンの「20&21周年記念大会」として開催される。40団体から選手80人が参戦しメモリアルイベントを戦うが、団体を立ち上げた〝破壊王〟こと故橋本真也さん(享年40)の戦友、〝元暴走王〟小川直也氏(54)が旗揚げ当時の舞台裏を激白。橋本さんの決意や絶大な人気を誇ったOH砲誕生のきっかけを明かした上で、大谷晋二郎ら現ゼロワン勢にも熱いメッセージを送った。
ゼロワン設立から21年か。懐かしいよね。破壊王が新日本プロレスとたもとを分かつことになって今に至るけど、当初から「破壊」「創造」という言葉を掲げて独自のスタイルを築き上げたんだ。
旗揚げ大会(2001年3月2日、両国国技館)では、橋本さんが新日本の永田(裕志)と組んでノアの三沢(光晴)さん、秋山準と戦ったんだよな。オールスター集結に古巣の新日本は焦りを感じていたかもしれないね。このままだとゼロワンに抜かれるんじゃないかと。それだけインパクトがあった。
試合後、エプロンに上がったオレは三沢さんからエルボーを浴びて、それが旗揚げ2戦目のタッグ戦(小川、村上和成組―三沢、力皇猛組)につながったんだよね。橋本さんが新日本を出ていくことになったのは俺のせい(※1)もあると思っているし、団体立ち上げの時から協力しようと考えていたんだ。
最初は新日本の子会社みたいな感じでスタートしたから、旗揚げ大会を終えて「本当に独立するんですか?」と尋ねたんだ。そしたら、橋本さんがグダグダ言うもんだから「ハッキリしろよ。やるか、やらない、しかないんですよ」とちょっと詰め寄っちゃったんだ。そこでようやく「じゃあ、やるよ」という言葉が聞けたんだよね。
それと、今後は団体の礎を築くという意味でも小川―橋本戦より手を組んだほうがいいんじゃないか。そう伝えたんだけど、橋本さんは「でも…」とか言う。やっぱり、俺にリングでリベンジ、したかったんだろうね。だから俺は「今はそんなことを言っている場合じゃないですし、ノア勢が来ているんだから、負けないようにしないと食われますよ。ファンは俺たちの対戦を望んでいません。いずれそういう時が来ればやればいいじゃないですか」と言ったんだ。それがOH砲誕生のきっかけだよ(※2)。
その後の興行は地方の会場でも2000人は観客が集まって、空席がないどころか立ち見客が出る状態。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。橋本さんが新日本の流れを持ってきたというか、戦いはここにあるというものを見せてさ。外国人選手をOH砲が迎え撃つ展開を貫いて、国内闘争は若手に任せた。
リング上ではシンプルに、みんなOH砲を見に来ていたから、余計なことはしない。強いやつが強いんだ。破壊王が徹底していたのは、1回(の試合)に魂を込めろと。やっぱり腹をくくった橋本さんの情熱があったからこそ、ゼロワンは軌道に乗ったんじゃないかな。
ゼロワンの分岐点はやっぱり橋本さんのケガかな。試合で右肩を脱臼したことが一番痛かった。欠場があったりで橋本さんは団体を去ることになり、体を壊して突然亡くなってしまった。ゼロワンでの俺の活動期間は実質3年かな。橋本さんが抜けてから団体名や体制が変わって関わらなくなったね。
プロレスを引退した俺としては、やっぱりゼロワンが中心になってもう一度プロレス界を盛り上げてほしいよ。ゼロワンはどこまでいっても橋本さんのつくった団体なんだ。昔ながらの戦いをテーマにした、原点を忘れずにね。ある意味、昭和のプロレスなんだけど、今は昭和の時代が好きな人も多いわけで。大谷君はもちろん、選手には「いつまでも、破壊王がつくったゼロワン愛を貫いてくれ」というメッセージを送りたい。
※1 2000年4月7日の新日本東京ドーム大会で、橋本は小川と5度目のシングル戦に「負けたら引退」の公約を掲げて激突したが惜敗。公約通りに引退した。しかし、ファンから復帰を願う百万羽の折り鶴をきっかけに引退を撤回。同年10月に復帰戦を行い、新日本内に別組織創設を計画したが、周囲の反対を受けて実現せず、橋本は同年11月13日付で新日本を解雇された。その直後、ゼロワンを設立して独立し大谷、高岩竜一が合流した。
※2 OH砲は01年12月のゼロワン「真撃」で初合体。橋本のジャーマンスープレックスに小川のSTOを合わせた合体技「俺ごと刈れ」を初公開し、白星発進した。












