巨人に2人の「坂本勇人」問題…過去にもあった登録名の逸話

2020年11月04日 11時15分

来季、「坂本勇人」の登録名は?

【赤坂英一 赤ペン!!】来季、坂本勇人の登録名と記事上での表記はどう変わるのか。巨人が育成ドラフト6位で同姓同名の捕手(唐津商)を指名したため、ファンの間でも議論かまびすしい。

 坂本は従来通りで新人を「坂本勇」とする案が有力とも聞く。が、逆に新人を「坂本」、坂本をフルネームの「坂本勇人」とするのも一つの手だろう。実際にその前例をつくったのが他ならぬ選手時代の原監督だ。

 1991年、原正俊という高卒投手がドラフト5位で巨人に入団。登録名は「原正」で、自動的に原辰徳の記事上の表記も「原辰」となった。「原の凡退には腹立つぞ~」などと散々駄じゃれのネタにされたものである。

 この表記に“原辰”本人が違和感を覚えたのか、その胸中を球団が忖度したのか。主催試合のスタメン発表は必ず「原辰徳」とアナウンスし、電光掲示板のメンバー表にもフルネームで表記された。なお、原正は2年目に外野手に転向したが、一度も一軍に昇格できないまま退団。「原辰徳」の表記も92年までで終わった。

 今回の“坂本問題”の場合、他球団ならどちらかを下の名前で登録するかもしれない。が、巨人は原則「勇人」のような登録名はNGである。2011年、ロッテのサブローが移籍してきた際も本名の「大村三郎」で登録。本人とファンに配慮してか、91~92年の「原辰徳」と同様、主催試合では常にフルネームでアナウンスしていた。

 そこで思い出されるのが99年秋のドラフトを前に、社会人捕手・木村一喜が広島を逆指名したときのこと。当時広島でプレーしていた木村拓也(故人)に、達川監督が「登録名を普通に木村拓にしても面白くない。いっそキムタクにせんか」と持ちかけたのだ。

 すると、「そんなことしたら本物のキムタクに何か言われるでしょ」と木村拓。そこで達川監督は「じゃあ新人は“木村一”になるからおまえは“木村二”でどうや」。

 こうなると、「なんで新人が一で、先輩の僕が二なんですか。納得できませんねえ」と木村拓も負けていない。「じゃあ、登録名は木村A、木村Bでどうですか。当然、僕がAですよ」と木村拓が秀逸な代案を出し、両者大笑いとなったものだ。

 この“登録名交渉”は神宮のベンチで、お二方がわれわれ記者の目の前でやってくれた。登録名ひとつ取っても、球界には様々な逸話がある。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。