藤川球児が明かしていた松坂との違い「だから僕は自分で終わらせる」

2020年09月01日 05時15分

重圧からようやく解放される藤川球児

【楊枝秀基のワッショイ!スポーツ見聞録】昨年の4月下旬だった。あの時も藤川球児は志願して二軍での調整を行っていた。

 練習後、鳴尾浜球場に西日が差す時間帯。駐車場で話し込むうちに「引退」の二文字に関する考え方に話題が及んだ。

 同学年の西武・松坂大輔は以前から「ボロボロになるまで投げ続ける」と公言していた。球児はどうなのかと問うと、少し間を置いて答えが返ってきた。

「松坂と僕はどういうところで違うかというとね…そうやなあ…松坂は常にまっさらなマウンドで投げてきたということ。僕はというと誰かが投げたマウンドから、自分で試合を終わらせにいく。だから僕は(現役を)辞めると思ったら、自分で終わらせる。こういう考え方って、それぞれの役目と関係あると思うよ」

 その言葉通りになった。まだできる。もったいない。通算250セーブまであと5まで迫っている。周囲にはそういう声も多かったはずだ。それでも球児は自らの意思にのっとり、自ら幕を引いた。

 2009年WBCで大会連覇を果たした頃、球児は将来のメジャー移籍を見据え自信を深めていた。実力も伴い、視野も広まり「自分にとって野球が全てというわけではない。藤川球児という人間の人生の中の一部として野球というものが存在する」とクールを気取りながら、ファンの前で手を抜いたことなど見たことはない。

 そこまで自分を追い込む一方で、時として本音を漏らすこともあった。「このチーム、阪神と巨人で長年にわたってクローザーを務めた人っていないでしょ? 他球団が大変じゃないとは言わないですよ。でも、絶対に一緒じゃない。これはやった人間にしかわからない」。その重圧からもようやく解放される。

 あの日の鳴尾浜での会話に戻る。当時から西武・松坂も厳しい状況にあった。その中で球児は言った。「松坂には僕らの世代の中で最後までプレーしてほしいな」

 球児は先にユニホームを脱ぐ。その夢は平成の怪物に託された。「松坂世代」最高のクローザー、虎史上最高の守護神、ありがとう。

☆ようじ・ひでき=1973年8月6日生まれ。神戸市出身。関西学院大卒。98年から「デイリースポーツ」で巨人、阪神などプロ野球担当記者として活躍。2013年10月独立。プロ野球だけではなくスポーツ全般、格闘技、芸能とジャンルにとらわれぬフィールドに人脈を持つ。