「岡山のダルビッシュ」と称されたダース・ローマシュ・匡さん 「ダルビッシュ ミュージアム」の館長に

2019年07月05日 11時00分

元日本ハムのダース・ローマシュ・匡さん

【異業種で輝く元プロ野球選手】「ガイジン」と呼ばれるのが嫌だった。それでも、自分を表現する最大の武器「野球」と出会い人生が変わった。インド人の父と日本人の母を持つハーフ。かつて「岡山のダルビッシュ」と称された、ダース・ローマシュ・匡さん(30)は今、ダルビッシュ有投手(32=カブス)の記念館「スペース11 ダルビッシュ
 ミュージアム」の館長として活躍している。

 高校時代は壮絶に散る場面が印象的だった。2006年のセンバツ2回戦では斎藤佑樹(早実、現日本ハム)と対戦。6回途中から延長15回まで158球を投げ、引き分けた。翌日の再試合では敗戦。同年夏の甲子園では、1回戦で文星芸大付(栃木)と対戦し、一時は5点リードもサヨナラ負けにマウンドで崩れ落ちた。本人が「ダースインパクト」と言うように、ハーフの長身右腕は鮮烈な記憶を残した。

 ドラフトでは日本ハムから指名され、ダルビッシュとチームメートに。3年目オフには宮崎で合同自主トレを行い親交を深めた。そして引退後、誘ってくれたのもダルビッシュだった。

「元プロ野球選手になってしまったら旬ではなくなる。都合よく連絡なんてこない。そんな時、有さんから声がかかった」

 自信を持てず返事に迷った期間もあったが、腹をくくって憧れの先輩をサポートする道を選んだ。

 普段は館長として施設の運営、取材対応、スタッフとのミーティングなどの仕事をこなす。シーズンオフ、ダルビッシュの帰国中には身辺のケアも行う。そんな中「休みを取って東京に家族を呼べ」と指示を受けたことがあった。

 ダルビッシュが高級ホテルを予約、食事の費用まで準備。部屋には直筆のメッセージがあり「いつもお疲れ様です」とつづられていた。背中を追いかけた存在。野球の実力だけではない懐の深さに「涙が出そうになった」。

 野球でアメリカンドリームをつかむ逸材もいれば、セカンドキャリアに悩む元プロ野球選手もいる。その両方を知るダースさんの「野球に本気で打ち込んだ人が、未来に不安のない、そういう世の中にしていきたい」という言葉は、現在の高校球児たちを大いに勇気づけるはずだ。

 ☆だーす・ろーましゅ・たすく 1988年12月15日生まれ、奈良県生駒市出身。岡山・関西高時代は2005、06年に春夏4季連続で甲子園出場。05年秋の神宮大会では決勝で田中将大(現ヤンキース)と投げ合い準優勝。06年、高校生ドラフト4巡目で日本ハム入り。プロ入り後は右ヒジの故障などに悩まされ、通算2試合、0勝1敗。現在、ダルビッシュ記念館(兵庫県神戸市中央区山本通1―7―16 ダルビッシュ・コート3階 電話078・291・4515)の館長を務める。191センチ、78キロ。右投げ右打ち。