東スポ愛しの松井伝説 本紙だけに見せた「男の本音」

2019年04月30日 16時30分

猪木(右)の“闘魂注入”で渡辺記者(中)を身代わりに差し出す松井(左)

 平成の本紙野球面に、最も貢献したのはこの男、松井秀喜氏(44=ヤンキースGM特別アドバイザー)だろう。平成5年から巨人、同15年からヤンキースでプレー。同24年に現役引退、そして同25年には国民栄誉賞を受賞するほどまでにビッグな存在になった。若かりしころ、本紙記者とふざけてばかりいたあの男が…。そこで「東スポ・松井伝説」の数々を、本紙歴代ゴジラ番記者5人がそれぞれ「最も印象に残る記事」とともに振り返った。

 松井には東スポでしか見せない「顔」があった。それが「ボクは下ネタは東京スポーツ上でしかしないんです」と公言する、様々な“男セン系”の話題だった。

 朝のウンチの話題から、AV観賞、オ〇ニーはどちらの手が気持ちいいかなど、とにかくなんでもあり。「男の本音」で語る松井のぶっちゃけトークは、男性ファンたちの魂を揺さぶった。

 そんななか、溝口記者が推したのは、平成6年8月13日発行の「松井ノーパンしゃぶしゃぶ友の会結成」だ。

「あの時は『ノーパンしゃぶしゃぶに行きてえー』という松井の生の声を、そのまま紹介したのですが、その後は『記事にしたからには連れていってくださいよ!』と鬼の催促。仕方なく連れていきましたが、その時の様子や後日談など、その後も関連記事を何度か書かせてもらいました。あの記事から松井が吹っ切れたような気がします」

 岩崎記者は平成9年4月10日発行の「潔白証明写真 松井は嘘をついていない」が忘れられない。

「あれは松井が打球を捕り損ねる失態で負けた試合後のことでした。松井がミスの言い訳に『あの場面、実はボッキしてたんです』と言いだしたんです。近くにいた後藤(孝志=現巨人コーチ)らから『うそを言うな!』と激しく追及されても『本当なんだ!』とタメ口で反論…。そこで本紙が写真で検証してみると、確かに松井の股間が“テント”を張っていたんです。それにしても、いったい何を“ネタ”に股間を熱くさせていたのか…」

 もちろん、バカ話ばかりをしているわけではない。核心に迫ったマジメな話も時にはしており、本間記者はメジャー挑戦を決めた直後、平成14年11月2日発行の「松井単独インタビュー、悲壮覚悟」が印象深いという。

「どんなに不振の時も明るかった松井が、FA宣言したあの日だけは“暗黒”のゴジラでした。FA会見を終えた夕方、電話で直撃すると沈んだ声で、今後の巨人の球団行事関連の話題に後ろ向きな言葉ばかりが並んだんです。球団側の冷たい反応が原因だと察しましたが、グラウンドで光り輝いていた松井の『闇の1日』が忘れられません」

 三島記者は平成22年10月8日発行の「松井、今でもジャイアンツ愛」でロングインタビュー。

「エンゼルスとの1年契約が切れ、今後についてのインタビューを申し込むと『話せることは何でも話すよ』と快諾。当時Uターンがウワサされたヤンキースへの思いを語ると、巨人復帰については『現実的には厳しい』と初めて言い切りました。思わずペンが震えたのを覚えています」

 東スポならではの大物たちとの対談企画も、本紙を彩った。渡辺卓記者は平成19年3月13日発行の「松井、リリー・フランキー爆笑対談」、平成22年3月31日発行の「松井妻同伴、猪木島行く 独占闘魂対談」を手がけた。

「リリーさんとは紙面で紹介したAVトークだけでなく、オフレコの下ネタトークも全開で終始ご機嫌でしたね。猪木さんとは初対面だったんですけど“闘魂注入”を楽しみにしていたくせに、直前にまさかの首痛を発症して辞退。ボクを代役に指名して肩をガッチリつかむと『ボクのぶんまでお願いします!』。猪木さんのビンタは痛かったですけど、いい思い出です」

 こうして数えだすとキリがなく、紹介しきれない伝説も山ほどあるのだが…。果たして令和ではどんな「松井伝説」を残してくれるのか。待望される巨人監督の行方なども含め、本紙は大いに期待しています!