【昭和~平成スター列伝】東スポWEBで連載中の桜庭和志の自伝「グレイシーハンターの〝真実〟 IQレスラー桜庭和志 実録 桜道」が大好評のうちに佳境を迎えている。プロレスから総合格闘技まで奥深い裏話の数々が続き、読んだら止められない読者の方も多いはずだ。
桜庭が名前を一気に高めたのは、やはり〝グレイシーハンター〟としてだろう。1990年代終盤から続いたグレイシー一族の最強伝説を粉々に砕いた功績は大きかった。桜庭が初めてグレイシー一族と対戦したのは99年11月21日有明コロシアムの「PRIDE.8」でのホイラー・グレイシー戦で、日本人として実に48年ぶりにグレイシー一族から勝利を挙げている。
「桜庭が大仕事をやってのけた。1Rから打撃で圧倒。面白いようにローキック、ソバットを叩き込んだ。ホイラーは太ももからスネにかけて紫色にハレ上がり、スタンドの攻防ができなくなった。2Rも寝転ぶホイラーにボコボコと蹴りの嵐からタイムアップ間近に寝技で勝負をかけた。腕がらみで右腕をとらえると骨折寸前まで絞り上げた。あまりのひねり具合にレフェリーが試合をストップ。『〝参った〟はしていない』と叫ぶ実兄・ヒクソンの抗議もむなしく、桜庭の勝利が告げられた。日本人選手としては1951年にブラジルで柔道家・木村政彦がエリオ・グレイシーを下して以来のグレイシー一族撃破で、もちろんグレイシーと名のつく選手に初めて勝ったプロレスラーとなる。桜庭は『タップ(参った)してないというが、どうやって逃げたか教えてほしい。テクニックがあると言われた割にはなかった』と余裕たっぷりに振り返った」(抜粋)
この試合、桜庭は「ホイラーもタップはしない。残り2分。この試合は向こうの要求でレフェリーストップなし、時間切れは判定なしの引き分けと決まっていたんですよ。でも引き分けじゃ面白くない。だから島田裕二レフェリーに『このままいったら外れますよ!』って。レフェリーストップがないのは分かっていたから、お客さんへのアピールだったんですけど、島田さんが止めちゃったんです。その瞬間は『あら!? 止めちゃった? まあいいや。俺じゃねえし』って感じでした(笑い)」と振り返っている。
しかし誰が見てもホイラーの右腕があり得ない方向にねじ曲がっており、レフェリーの判断はごく妥当なものだった。
翌年5月、東京ドームの「PRIDE GP 2000」決勝大会では15分無制限ラウンドでホイス・グレイシーと対戦。実に90分に及ぶ死闘の末、7R開始直前にホリオン・グレイシーがタオルを投入して桜庭が歴史的な勝利を決めた。ホイラー、ホイス、ヘンゾ、ハイアンらグレイシー一族相手に4連勝を決めたのは日本人ではもちろん桜庭ただ一人。常に風のごとくひょうひょうとした男が、日本マット史に不滅の金字塔を立てた一戦だった。 (敬称略)













