【昭和~平成スター列伝】前回は“世界の16文”ジャイアント馬場が1964年2月17日(日本時間18日)ニューヨークのMS・GでWWWF(現WWE)世界ヘビー級王者、ブルーノ・サンマルチノに初挑戦した試合について触れた。
2度目の米国修行中だった馬場はこの月だけでも当時の3大王座(WWWF、NWA、WWA)に挑戦する偉業を成し遂げている。サンマルチノ戦のわずか9日前の2月8日には、デトロイトで当時最高峰とされた“鉄人”ルー・テーズのNWA世界ヘビー級王座に初挑戦。3本勝負で1本を先制する殊勲の星を挙げている。本紙は2日連続でこの大一番を詳報している。
「リング中央で首を取り合った両雄は早くも力比べ。馬場の若さがテーズの技巧を圧倒してネジ伏せる。しかしテーズは巨体で押さえ込みにかかる馬場をスルリとかわしリストロックから強烈なアームロック。ヒザを腕に当ててギリギリ締めつける。テーズはなおもトーホールドの猛攻。しかし馬場も長い足を使ってキック、ボディーシザースで反撃。二転三転の攻防から6分過ぎ、馬場がラッシュ。殺人タックルから十八番のココナッツクラッシュ(ヤシの実割り)。さらに師匠力道山譲りの空手チョップで乱撃。フラフラになったテーズに2メートル9センチの長身で真上から叩きつける頭突きから、もう一度ヤシの実割りを叩きつけて、ダウンしたテーズへ145キロの体重を乗せたニードロップからの体固めで先制した。2本目、テーズは恐るべき妙技を見せつけた。一歩下がる瞬間、宙を飛んでドロップキック。続けてもう一発。馬場がフラリとなるところへ今度はものすごいフライングボディーシザース(空中胴締め落とし)で1―1のタイとした。3本目、馬場は巨大な手でクロー、空手チョップの猛攻。ヤシの実割りで攻めまくる。だが4度目のヤシの実割りを狙った瞬間、馬場の巨体がグーンと宙に浮いた。テーズ必殺のバックドロップだ。2人はダウンしたがテーズがカウント9で立ち上がり、馬場は立ち上がれずカウントアウト、テーズが2―1で防衛に成功した」(抜粋)
実にトータル52分にわたる激闘だった。テーズは「馬場は強くなった。バックドロップが決まらなかったのは驚いた。同体で倒れたのは私のキャリアでもこういうケースは少ない。馬場は世界一の強さを持っていることを身を持って感じた」と絶賛している。2年後の66年2月28日東京体育館では、馬場がインターナショナルヘビー級王者としてテーズを2―1で退けて雪辱を果たしている、
馬場は2月28日にはWWA世界ヘビー級王者のフレッド・ブラッシーに挑戦するも引き分け。しかしこの連戦で全米を席巻して4月に凱旋帰国を果たすと、力道山亡き後の日本プロレス不動のエースとなる。 (敬称略)













