阪神が26日の広島戦(甲子園)に1―0で勝利し、藤川球児監督(45)は監督通算100勝に到達した。指揮官就任後、167試合目での達成は2003年に巨人を率いた原辰徳氏(67)に並ぶセ・リーグ最速記録。原氏は解任劇もありながら通算17年間で歴代9位となる1291勝を挙げたが、藤川監督はどんな道を歩むのか――。
試合はこれ以上ない僅差での決着となった。打線はわずか2安打で、4回に佐藤が放った6号ソロが決勝点。投手陣は先発した大竹が7回無失点でリリーフ陣にバトンを渡し、桐敷、ドリスが得点を許さなかった。
引き分けを挟んだ連敗は「2」で止まり、シーズン序盤ながら15勝8敗で首位に浮上。リーグ連覇に向けて再び好位置につけたが、指揮官の口から出てきたのは自分の手柄ではなかった。
「選手たちが素晴らしいパフォーマンスを残し、さらにうまくなりたいと磨いてくれている。それがグラウンド上で出る。ファンと現場が一体になっている証しかなと思いますね」
選手のコンディションに常に気を配り、昨季は就任1年目でリーグ優勝を果たした。この日は8回に近本が左手首に死球を受けて骨折。前日25日の同戦でも森下が左手首付近に死球が直撃した。故障防止にはいっそうの神経をとがらせる藤川監督とあって、節目到達にも怒りがにじんでいた。
「相対的に見てちょっと多いね。こちらもグッと我慢していますけど、多いね」。声を荒らげることこそなかったが「当てられたとは思っていない。真剣にやっている中で当たってしまったという表現になる」とも付け加えた。選手を守る責任と、球界全体の秩序を守る責任の間で怒りをのみ込んだ。
藤川監督と同じく就任2年目の167試合目で監督100勝を成し遂げた原氏は、1年目の02年シーズンで松井秀喜らを擁する充実した戦力で日本一を果たした。当時、原氏は「これはプロローグです」と言い放ち、2年目のシーズンに臨んだが、フロントとの確執やV逸の憂き目に遭い、電撃退任となった。それでも巨人監督として伝統球団を3度率い、名将と呼ばれる存在に昇華していった。
日本球界で1000勝以上を挙げた監督は13人。原氏が発した「プロローグ」が波乱と栄光の始まりだったように、藤川監督の100勝も序章に過ぎない。「今のスタッフ、二軍も含めて全体でつくり上げているもの。阪神のチームワークが結果として表れているのは単純にうれしい」と話した虎将の戦いは始まったばかりだ。













