【プロレス蔵出し写真館】1月31日は、1999年(平成11年)に肝不全により61歳で亡くなったジャイアント馬場さんの命日だった。あれから27年がたった。

 4月17日に日本武道館で、本葬の「お別れの会」~ありがとう~が行われた。東スポは、正午から始まった式典を版替えして、1面B版★でその日の内に速報した。

 紙面に選手会長の三沢光晴が独占手記を寄せた。

〝なにが一番の思い出だったか、とよく聞かれる。答えにならないかもしれないが「ジャイアント馬場という人と出会ったこと」、この一言に尽きる。初任給は1万円。同期も何人かいたが、自分だけ少し多かった。馬場さんが「お前は他のヤツと違うから…」と説明してくれたが、これはホントにうれしかった。それがその後の自分にとって大きな励みになった。社長には他人に対する思いやりの気持ちを持つことを教わった。「人を裏切るな。ダマすな」とも教えられた〟と綴った。

 そして「社長は長い間、雲の上の存在だったから、初めてフォールを取ったとき(94年3月、日本武道館)のことは忘れません。あのときはうれしさなんてなく、ただ寂しさだけを感じたものだった。ああ、そんなときが来たのか、と。でも、これだけはハッキリと言える。馬場さんは馬場さん。誰にも超えることはできないし、まねはできない。やはりそれだけ大きい存在だった」と断言した。

 筆者も、朝の追い込み作業を終えて、同僚と武道館に向かい献花した。取材先でよくしてもらったことに、心の中で感謝を伝えた。昨年、ようやくお墓参りができた。

リングシューズのモニュメントが設置された馬場さんのお墓(2025年5月、兵庫・明石市本松寺)
リングシューズのモニュメントが設置された馬場さんのお墓(2025年5月、兵庫・明石市本松寺)

 馬場さんのお墓は兵庫県明石市の日蓮宗「法栄山本松寺」にある。元子夫人の実家・伊藤家の菩提寺。JR明石駅から10分ほどの距離だ。

 本堂の裏手に回ると「馬場家各霊位」と彫られた墓石があり、右手前に黒御影石で作られた16文をイメージしたリングシューズのモニュメントがある。ファンにひとめで分かるよう後から設置された。

 数年前には、各地の著名人のお墓を訪ね歩く〝墓マイラー〟に注目された。本松寺には剣豪・宮本武蔵の作庭と伝わる庭園があることが在阪テレビ局で紹介された影響。それも相まって、お墓を訪れるファンは多い。

 ところで、馬場さんが亡くなった後、遺骨はしばらく元子さんが自宅で保管していた。2018年(平成30年)4月14日、元子さんが肝硬変で亡くなる(享年78)と、6月3日に四十九日法要に合わせて親族と和田京平レフェリーが参列して納骨式が行われた。

 和田レフェリーは「元子さんのお父さん(伊藤悌さん)が亡くなったとき、元子さんが非常に悲しんだ。馬場さんは『オレらが亡くなったらお父さんの隣に眠ろう』って、元子さんのために伊藤家の隣に生前、墓を作った。馬場さんは『オレはもう墓はあるんだよ』って言ってた。馬場さんの故郷(新潟県三条市)のお墓はお姉さんに任せたみたい。墓はサラシをぐるぐるに巻いてた。元子さんが亡くなって、納骨式で初めてそのサラシを取って、馬場さんと元子さんが一緒に入ったんだよ」と教えてくれた。

「(元子さんは)恵比寿の自宅に馬場さんの遺骨を置いていて、みんなに『お墓に入れた方がいいですよ』って言われたけど、元子さんが『離れたくない。そういうことを言う人は私、嫌いです』ってケンカになるぐらい。『私はずっと馬場さんと一緒にいたいんだ』って言って、拒否してたよね」(和田レフェリー)

 さて、元子さんは馬場さんのために〝悪者〟になることをいとわなかった。

 和田レフェリーは「元子さんも、いいところはいっぱいあるんだけど、それじゃ元子さんじゃないんだよ。リングではベビーフェースが馬場さんで元子さんがヒール。でも、家ではそれが逆転してた。『メシ作れ』『コーヒー淹れろ』って。馬場さんと元子さんは阿吽の呼吸だったね」。そう懐かしんだ(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る