コロナ禍によって禁止されていた会場での声出し応援が解禁されたのは2022年9月5日後楽園ホール大会でした。メインでオカダ(カズチカ)と組んでJONAH、シェイン・ヘイスト組に勝利し「愛してま~す!」で大会を締めくくったんですけど、感極まって泣いてしまいましたね。ファンの皆さまの存在、歓声はありがたいなって改めて思いました。
コロナ禍を経て、涙もろい棚橋がより涙もろくなりました。それからしょっちゅう泣くようになっちゃって…(苦笑)。俺はキャリアの晩年だったけど、オカダだったり内藤(哲也)といったレスラーとしてピークを迎える時期の人間の方が、あの時期はよっぽどつらかったんじゃないかな。
この時に気付いたんです。人生は絶妙なバランスでできてるなと。波があっても、死ぬ時にはトントンだと思うんですよ。だからコロナ禍で下がった時期に歓声がもらえなかった選手は、これから倍以上の歓声をもらえるんじゃないかって。そう言って周りの選手を鼓舞してました。
この年の10月1日には(アントニオ)猪木さんが79歳で亡くなりました。晩年は新日本プロレスと違う団体で活動されてましたけど、最後は新日本の名誉会長になられていましたし、創始者としていつまでも今後の新日本プロレスを見守ってほしいなと思いますね。
お葬式では闘魂に導かれて、中邑(真輔)と柴田(勝頼)さんとの新闘魂三銃士が集まったのも印象的でしたね。改めて猪木さんの偉大さを感じました。
そして運命なのか何なのかは分からないのですが、俺はかつての猪木さんと同じ立場に立つことになりました。23年12月23日、新日本プロレスの代表取締役に就任したんです。
経緯としては、この年のある日、ブシロードの木谷(高明)オーナーからご連絡をいただいて「ご飯食べに行こうよ、棚橋君」って言われたんです。「よし、何かうまいものが食えるな」と、本当に何も考えずにお店に向かったら、木谷さんと2人だったんです。いつも何人か部下の人がいたり、誰かをご紹介されたりしていたので、これは珍しいなと思って。
その食事会の序盤も序盤のタイミングでした。「来年から新日本プロレスの社長をやってくれないか」と言われて…。もう今となっては何を食べたかあんまり覚えてないくらい驚いて、即答できなかったんですよ。
俺は何事にも全力でやることをモットーにしていたのでレスラーと社長業の両方を100%でできるのかなって食事中もずっと考えていたんです。その結論が「俺、疲れないからできるな」だったので、結果的に木谷オーナーからのお話を引き受けることにしました。













