暗黒時代から立ち直って、2010年代にV字回復を見せた新日本プロレスはコロナ禍によって、またも苦境に立たされました。20年は1月4、5日と連続で東京ドーム大会を開催して2日間合計で約7万人を動員して…。「さあ、これで俺はもう誰かにバトンを渡して終わりなのかな」とも一瞬だけ思ってたんです。だけど、そういうわけにはいかなくなりました。

 傾くにしても自分たちの努力不足、怠慢が原因であれば諦めもつくんですが、何ともできない理由だったのがもどかしかったですね。若い選手が海外武者修行から凱旋帰国したのに無観客試合だったり、無歓声だったり…。そういうプロレスの華をきちんとした形で見せられない選手も気の毒だなと思ってました。

 だからこそ最後の使命はもう一度新日本プロレスを立て直すことだと考えたんです。1回下がったんだったら、もう1回上げればいいじゃないか。上げるハウツーは俺が持ってるぞって。

 コロナ禍時代に印象に残っているのは22年1月5日の東京ドーム大会で行われたKENTA選手とのIWGP USヘビー級選手権です。この試合はノーDQ(反則裁定なし)マッチとして行われて、壮絶な試合になりました。最後は俺がラダー上からのハイフライフローで勝利を収めたんですが、試合形式への葛藤がバックステージで爆発して「何の感情も残ってないです。ただあるのは虚無感。むなしいだけ。なんで俺、プロレスラーになったのかな」とコメントしたんです。

KENTA(下)にハイフライフローでフィニッシュする棚橋弘至(上、22年1月)
KENTA(下)にハイフライフローでフィニッシュする棚橋弘至(上、22年1月)

 これに対してKENTA選手がXで「俺たちは覚悟を持ってプロレスリングをやったじゃないか。今日のお前は最高だった。胸張ってくれ」と投稿してくれたんです。本人はこの試合で鼻骨を折ったり大きなケガを負っていたにもかかわらずですよ? いろいろなものに気付かされましたね。

 俺は新日本プロレスの戦い、体を鍛えて、レスリングで勝負してというところにずっと憧れていたのでルールなしとか反則・凶器OKみたいな試合はなかなか受け入れられなかったんです。でもあの言葉でKENTA選手とは絆が生まれましたね。俺なんかより全然世界を見ていて、見聞も広いしね。

「精一杯やったじゃないか」って言葉は、04年3月28日両国大会で行われた村上(和成)さんと「ノーピープル金網デスマッチ」の後に後藤(達俊)さんに言われた言葉と重なります。お客さんが盛り上がったかどうかは一つの軸ではあるんだけど、もう一つの軸は自分の力を出し切ったのか、精一杯やったのか。プロレスをやっていく上でこの2つの軸が大事なんだと、改めて気付かされたのがKENTA選手との試合でした。