2012年1月4日東京ドーム大会でIWGPヘビー級王座V11に成功し、絶頂期だった俺の目の前に現れたのがオカダ(カズチカ)でした。この大会で凱旋したばかりのオカダの実力は未知数で、周囲からは「まだお前には早いよ」みたいなブーイングもありました。俺もハッキリ言って「顔じゃない」と思ってましたよ。ただ前哨戦を戦っている俺だけが徐々に「コイツやべえ」と思いながら、タイトルマッチの日が近づいてきたって感覚でした。
そして迎えた2月12日の大阪大会で、オカダに敗れる「レインメーカーショック」が起きてしまいました。いま振り返ると、慢心があったのかもしれないですね。いつも前哨戦を通じて対策を練ったりするんですけど、そういったところも「何とかなるかな」と思ってしまったのが、勝敗の決め手になってしまったのかなと。
この試合の直前には団体の親会社がユークスからカードゲーム会社のブシロードに代わっていました。00年代から、この年にかけて会社の雰囲気が良くなって、動員も回復してきた状況だったからこそブシロードの目に留まって、広告宣伝やメディア出演の初期投資でもうひと波が来たと。なので新日本のV字回復は確かにオカダというニュースターありきなんですけど、その助走はできていたと思います。07年11月の後藤(洋央紀)とのIWGP戦から、俺のシングルマッチは必ず試合内容で間違いないものをやってきたという自負はあったので。
IWGPのベルトは6月16日大阪大会でオカダとのリマッチを制して取り戻しました。この試合は自分のキャリアで唯一、プロレス大賞のベストバウトに選ばれたんですね。オカダも勢いを増していたので、最初からフルスロットルで行ったんですけど、それが良かったんでしょうね。毎年6月の大阪大会「ドミニオン」が15年から大阪城ホールに進出したのも、この一連のオカダとのタイトルマッチが一役買ったのかなと思います。
オカダとの戦いは新日本のV字回復を象徴するカードとなって、その後13、15、16年と3回も1月4日東京ドームのメインで実現することになります。そして26年1・4の引退試合でもオカダと戦うんですが…。年齢が11歳も違うライバル関係がここまでクローズアップされるのってなかなかないことですよね。先輩にも後輩にも恵まれたレスラー人生だったなと思うんですが、その中でもオカダは特別な存在の一人ですね。
リングを下りたオカダって無邪気で、あんなにイタズラ好きでケタケタ笑う人間は俺は知らないです。根明だからどこに行ってもいろいろな選手、関係者に愛されているんだろうなと思います。













