5度目のIWGPヘビー級王座戴冠は、2011年1月4日東京ドーム大会でした。対戦相手は前年のG1クライマックス決勝戦で敗れた小島(聡)さん。当時の小島さんはフリーだったので、09年の1・4ドームの武藤(敬司)さんとの試合に続いて流出していたIWGPを奪回するという巡り合わせでした。

 小島さんとは2月20日仙台サンプラザホール大会でのリマッチも制して初防衛に成功するんですが、この試合が非常に印象深いですね。新日本は仙台でずっと動員に苦しんでいたんです。過去には自分の実力不足で会場を盛り上げられず悔しい思いをしていました。でもやっと仙台サンプラザで開催する力も戻って、会場もすごい盛り上がって…。試合後のリング上で「仙台のこの日を、生涯忘れません」と言ったんです。よくそういう言葉が出ますよね、俺も。他のレスラーと読書量が違うんでね(笑い)。

小島聡にドラゴンスープレックスする棚橋弘至(2011年)
小島聡にドラゴンスープレックスする棚橋弘至(2011年)

 しかし、その直後の3月11日、東日本大震災が発生して未曽有(みぞう)の被害が生まれてしまいました。プロレス界として何かできることがないかということで実現したのが8月27日の「ALL TOGETHER」(日本武道館)でした。日本全体が何かしたいと思っていた状況でプロレス界から義援金につなげるという形が取れて、そこでIWGP王者としてかじ取りができたのは良かったなと思います。

 この年は非常に充実していて、年間を通じて月イチのペースで防衛戦をクリアしていました。10月10日の両国国技館大会では8度目の防衛に成功したんですが、この試合が内藤(哲也)のIWGPヘビー初挑戦だったんですね。本当に小難しいというか、本心を語らないヤツなんですけど、プロレスへの情熱というか「何でこんなにプロレスには献身的なんだろう」っていうところがあって。そこだけは俺と似てるなって思うんです。10年にはかなり抗争していたので本人としては「棚橋の次は俺だ」と思っていたでしょうね。ファン時代にデビュー戦から俺のことを追い続けてきてくれて、憧れも公言してくれている選手なんですけど…そういうのは一切感じないんですよね。言ってるだけなんじゃないかなって(笑い)。

場外の内藤哲也(下)にハイフライフローを見舞う棚橋弘至(2011年)
場外の内藤哲也(下)にハイフライフローを見舞う棚橋弘至(2011年)

 当時、新日本の秋の両国はまだ動員が厳しくて「棚橋と内藤じゃ人が集まらないのか」という悔しさはあったんですけど、試合はすごく盛り上がった自負がありました。確実に「新しい次の世代が育ってきてるな」と手応えを感じていました。

 12年の1月4日東京ドーム大会では鈴木(みのる)選手の挑戦を退けて当時の最多防衛新記録となるV11を達成しました。そしてキャリアとしてのピークを迎えていた俺のもとに“あの男”がやって来たんです――。