新日本プロレスは16日、人気ユニット「ロス・インゴベルナブレス・ハ・ポン(LIJ)」の内藤哲也(42)とBUSHI(42)が退団すると発表した。

 同団体は公式ホームページで「このたび、内藤選手の今後の選手活動につきまして、選手本人と新日本プロレスは、話し合いを重ねて真摯に検討してまいりました。その結果、内藤選手と新日本プロレスは、5月4日(日)福岡大会の翌日以降、両者間の選手契約の継続や更新をしないことで合意しました」と報告。

 「内藤選手が、自身の今後について真剣に考えぬいた末での選択ですので、新日本プロレス一同、温かく送り出し、さらに輝かしい活躍を続けられることを、ファンの皆様とともに祈りたいと思います」と記した。

 続けて「内藤選手のファンの皆様、新日本プロレスのファンの皆様、そして多くの関係者の皆さまには、多大なご心配やご迷惑をお掛けすることになり、心からお詫び申し上げます。なお、5月4日の福岡大会までは、発表の通り出場いたしますので、内藤選手にご声援いただけましたら幸いです。どうぞ、ご理解を頂きますよう、よろしくお願い申し上げます」とファン、関係者へメッセージを送った。

 日本マット界ナンバーワンの人気者がプロレス界の盟主から電撃離脱。大きな衝撃が走っているが、内藤のレスラー人生はセルリアンブルーのマットで刻まれてきた。
 
 学生時代から熱烈な新日本ファンで、プロレスラーになるため2009年から5年間、数々の名選手を輩出したアニマル浜口ジムでトレーニングを積んだ。05年12月に新日本プロレスに入門したが、入門テストでは「新日本プロレスへのこだわりは絶対に誰にも負けません」と、自身をアピールしていた。

 06年5月の埼玉・草加大会の宇和野貴史戦でデビュー。07年6月にはジュニアの祭典「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」出場を果たすと、08年10には裕次郎とのコンビでIWGPジュニアタッグ王座を獲得。メキシコ遠征を経て、10年1月4日東京ドーム大会では同コンビでIWGPタッグ王座を手にした。

 シングルプレーヤーとしても頭角を現し、11年8月に真夏の祭典「G1クライマックス」で準優勝。重傷を負った右ヒザの手術を乗り越え、13年の「G1クライマックス」で初優勝した。大ブレークのきっかけは、15年5月にメキシコで「ロス・インゴベルナブレス」に加入したこと。同年11月にBUSHIらと「LIJ」を結成し、一気にプロレス界の中心に躍り出た。

2013年8月、棚橋弘至(下)からフォールを奪う内藤
2013年8月、棚橋弘至(下)からフォールを奪う内藤

 16年4月にはオカダ・カズチカを破り、最高峰のIWGPヘビー級王座を初戴冠。制御不能な言動もあいまってカリスマ的人気を博し、同年度の「プロレス大賞」で最優秀選手賞(MVP)に初めて選出された。17年にはG12度目の優勝。2年連続でプロレス大賞MVPに輝き、オカダとともにエースとしてマット界を支えた。

 20年の1月5日東京ドーム大会では、オカダを破り史上初のIWGPヘビー級&インターコンチネンタル2冠王者に。この試合はプロレス大賞ベストバウトに選ばれた。同年7月にEVILに2冠を奪われたが、8月の神宮球場大会で奪回し、年間を通じプロレス界の中心で活躍。3度目のプロレス大賞MVPに輝いた。

2020年1月、二冠王者となった内藤(東京ドーム)
2020年1月、二冠王者となった内藤(東京ドーム)

 23年2月のノア・東京ドーム大会で武藤敬司の引退試合の相手を務めると、同年の「G1クライマックス」でオカダを下して3度目のG1制覇を達成。同年度のプロレス大賞で4度目のMVPを獲得。24年1月4日の東京ドーム大会では、IWGP世界ヘビー級王座を初戴冠し、名実ともにマット界の頂点に君臨した。

 23年1月にSNS上で新日本退団をうわさされた際には、「今日現在の気持ちとしては、新日本に骨の髄までしゃぶっていただくつもりですよ」と語っていた。それだけに、新日本マットに与えるショックは大きい。