2009年1月4日の東京ドーム大会で、全日本プロレスの武藤(敬司)さんに流出していたIWGPヘビー級王座に挑戦しました。

 ついに師匠超えを果たしてベルトを奪回するんですけど…写真で見返したら、勝った後の自分がめちゃめちゃいい表情をしていたんですよ。責任感のある顔というか「ああ、俺こんな顔するんだ」ってことをすごく覚えてますね、自分で言いますけど(笑い)。ベルトだけでなく見えない何かも受け継いだのかなって思います。

武藤敬司にハイフライフローを決める棚橋弘至(2009年)
武藤敬司にハイフライフローを決める棚橋弘至(2009年)

 今振り返っても新日本プロレス、プロレス界のターニングポイントになった試合ですね。武藤さんがいつまでも時代の中心では業界としてダメというか、俺もオカダ(カズチカ)や内藤(哲也)といった下の世代と戦った時に同じ役割だったと思うんですけど、そうやって受け継がれていくものなんだろうなと。

 それを象徴するように武藤さんも「駅伝じゃないけど、タスキは棚橋に託した。俺は区間賞を取ったと思ってる」というコメントを残してくれているんですよ。こういう方だからこそプロレス界全体をリードしていけるというか、全体をよく見ているんだなと思わされました。

 この時のバックステージで「内藤、オカダ、YOSHI―HASHI、平澤(光秀)を絶対に俺の位置まで引っ張り上げていく。そうすればプロレスは不滅です」とコメントしているんです。当時の若手が、そのメンツだったんですけど、実際に内藤やオカダとは時代をかけて戦っていくことになるので、言葉というものは言霊ですね。団体は俺が引っ張っていく立場になったから、あとは「追いかけてこいよ」って。武藤さんを超えたことがゴールではなく、新たなスタート地点になったんですね。名前を挙げた4人中3人が今はもういないですけど(苦笑)。

 ベルトは8月のG1クライマックスで右眼窩内側壁を骨折してしまい返上を余儀なくされるんですが、上半期の活躍が認められて、この年のプロレス大賞ではMVPを初受賞することができました。うれしかったですね。やっぱり武藤さんに勝ったというのが一番大きな要因かなと。

2009年プロレス大賞授賞式 MVPを獲得した棚橋弘至(下段中央)
2009年プロレス大賞授賞式 MVPを獲得した棚橋弘至(下段中央)

 以前からプロモーション活動もやっていたんですが、この頃からいろいろな場所でできるようになってきました。こちらからお願いしてスペースをつくってもらっていたものが、店舗の協力があったりして、少しずつ規模が大きくなってきたというか、手応えみたいなものを感じていました。

 ただ、まだ会場ではブーイングも相半ばでしたね。07、08年くらいで底は抜けていたんですが、10、11年くらいまでは続くんです。本当に少しずつ、一歩ずつ階段を上っていく段階でした。