2019年1月4日東京ドーム大会ではイデオロギー闘争になっていたケニー(オメガ)との激闘を制して、IWGPヘビー級王座の最多戴冠記録を「8」に更新することができました。しかし、この直後の2月11日大阪大会でジェイ・ホワイトに敗れてしまってベルトを失いました。

 結局、キャリアの中でこれ以降は団体最高峰王座には手が届かなくなってしまうんですね。この年の4月には、憧れていた米国・マジソンスクエア・ガーデンでの大会開催が実現するんですが、この時もザック(セイバーJr.)とのブリティッシュヘビー級王座戦に敗れるという、非常に悔しい結果に終わってしまいました。

 この時の年齢がまだ42~43歳ですか。何とかもう1回メインストリームに…とは思ってましたけど、ヒザが痛かったんですよね。特に右ヒザが悪くて、深刻な状態でした。東京ドームでのケニーとの試合が、自分の中で最後のギリギリ、ボーダーラインだったって感じでしたね。

 ケニーはAEWに移籍したので当時の新日本はオカダ(カズチカ)、内藤(哲也)、飯伏(幸太)、ジェイ(ホワイト)がトップ戦線を形成していました。いやもう、完全に入れ替わったなって感覚でしたね。「俺の出る幕はもうないかな…」ってずっと思ってましたよ。ただ、IWGPを目指さなくなった時が引退の時だとはずっと思っていたので、意地でも「IWGPを目指す」と口では言ってましたね。

 20年の東京ドーム大会は1月4日、5日の2日間開催になって、合計で7万人を動員するまでに新日本プロレスの勢いが増していました。しかしその直後、新型コロナウイルスの感染拡大によって、それまでの日常があっという間に失われてしまいました。新日本は2月26日の沖縄大会を最後に興行を中止して、約3か月後の6月15日に無観客試合から再開。7月11日の大阪城ホール大会から観客を入れての興行となったんですが、収容人数の3分の1、無歓声という条件でした。

コロナ禍で無観客の中登場したオカダ・カズチカ(20年7月)
コロナ禍で無観客の中登場したオカダ・カズチカ(20年7月)

 最終的に声出し応援がOKになったのが、22年9月5日の後楽園大会なので、約2年半も続いたことになります。いやもう…記憶がないですね。技と歓声と空気感で記憶って覚えられてるので、コロナ禍での戦いって映像を見れば思い出すんですけど、なかなか印象に残っている戦いが少ないですよね。

 プロレスって他のどの競技よりも声援が必要なジャンルだと思っています。完全にこっち側の意見なんですけど、息が上がっていてダメージがあっても「棚橋」コールがあれば不思議と動ける。コロナ禍での試合を経て改めてファンの皆さまが大きな存在であることを知りましたね。