【昭和~平成スター列伝】“黒い呪術師”の異名で一時代を築いたアブドーラ・ザ・ブッチャー(84)が、10月末に深刻な健康問題で入院したと報じられ、SNSで痩せ細った写真が公開されてファンに衝撃を与えた。その後は笑顔を浮かべている写真がアップされ、病状が回復に向かっていることが報告された。一日も早い回復を祈りたい。

 ブッチャーの全盛期はやはり1970~80年代の全日本プロレスでの活躍だろう。77年の世界オープンタッグ選手権ではザ・シークとの“最凶コンビ”でザ・ファンクスと歴史に残る激闘を展開。爆発的人気を集めた。

 翌78年10月18日栃木では御大ジャイアント馬場の象徴だったPWFヘビー級王座を黒人として初めて奪取。名実ともに外国人ヒールのトップとなった。当時の王者は“人間風車”ビル・ロビンソン。欧州の超技巧派と呪術師の異色の王座戦は大きな話題を呼んだ。

ロビンソンの必殺技ワンハンドバックブリーカーがさく裂
ロビンソンの必殺技ワンハンドバックブリーカーがさく裂

「1本目はロビンソンが奇襲のパンチ攻撃からエルボー、ネックブリーカーの猛攻。さらにヒジ打ち、タックル。ロビンソンの殺人フルコースが始まった。ジャンピングエルボーからワンハンドバックブリーカー。ロビンソンが先制だ。2本目はブッチャーが頭突き2発からエルボー。ここでブッチャーの額が割れて出血。場外へ逃げるブッチャー、追うロビンソン。ロープをくぐろうとするロビンソンにブッチャーは地獄突き。その瞬間、左足にロープが引っかかった。宙づりのロビンソン。場外で立てずカウントアウトのゴング。これでタイだ。3本目、決勝のゴングが鳴っても左足を痛めた王者は立てない。そこへブッチャーが非情なキック攻撃と血だるまの額で左足に頭突きを連発。ロビンソンは必死に反撃しようとするが利き足の左が動かない。片手背骨折りをを狙うも力が入らない。ブッチャーの猛攻は完全にロビンソンの左足を潰してしまった。ここで樋口レフェリーが『これ以上戦えない』とストップをかけた。ブッチャーは昭和48年6月14日川崎で馬場に初挑戦して以来、7度目、苦闘5年4か月で、ようやくPWFのベルトを手に入れた」(抜粋)

 結局、そのままベルトは海外に流出し、馬場が翌年2月10日に米シカゴまで出向いて王座奪還に成功するのだが、呪術師にとっては大きな勲章となった。和田京平名誉レフェリーは「当時、米国ではまだ黒人に対する差別があったけど、全日本にはなかった。当時のブッチャーは強かったし、何より人気がすごかったからね。馬場さんはあらゆる面でブッチャーを認めていた。だからわざわざ自分で海外までベルトを取り返しに行った。信頼関係は固かったよ」と当時を述懐する。ブッチャーは76年の「チャンピオン・カーニバル」でも黒人として初めて優勝。トロフィーを抱きしめて「ミスター馬場には感謝している」と涙を流した逸話が残っている。約20年も馬場と抗争を続けたタフネスさで病魔にも打ち勝ってほしい。 (敬称略)