【昭和~平成スター列伝】来年1月4日東京ドーム大会で引退試合を控えるエースで社長の棚橋弘至は「ファイナルロード」と銘打って所属選手とのシングルマッチを敢行しているが、9月7日の千葉・東金アリーナ大会「青義奉謝」ではミスターこと永田裕志と対戦が決定した。

 2000年代から団体エースの座を争い、数々の激闘を繰り広げた両雄のラストマッチは感慨深いものがある。シングルは17年7月のG1クライマックス公式戦以来、実に約8年ぶり。過去の戦績は永田の7勝10敗となっている。

 棚橋と中邑真輔(現WWE)は、団体の低迷期を支え“V字回復”の原動力となり、現在の団体の隆盛を築いたとされるが、永田を筆頭とする第3世代も、00年代前半の混迷期に奮闘して新日本を支えた立役者だった。永田は02年4月に初めてIWGPヘビー級王座を奪取すると、当時新記録となった10度連続防衛に成功している。

 棚橋と永田が初めてIWGP戦で激突したのは07年4月13日大阪。棚橋は前年7月に当時の王者ブロック・レスナーに挑戦予定だったが、王者が来日をドタキャンしたため、急きょ王座決定トーナメントが開催され、棚橋は2回戦で永田をグランドコブラ葬。優勝決定戦でジャイアント・バーナードを撃破して初戴冠を果たした。そして翌年4月には棚橋が王者として、初めて永田の挑戦を受けた。

勝負を決めた永田の豪快なバックドロップ
勝負を決めた永田の豪快なバックドロップ

「雌伏の4年間は終わった。会場の大コールに押された永田は序盤から猛攻。ヒジ打ち、ミドルキック、棚橋がコーナーに崩れ落ちると蹴りの雨あられ。アームブリーカーには王者も悲鳴を上げた。棚橋もエプロンでのドラゴンスクリューで王者を場外に吹き飛ばす。激闘のクライマックスは18分過ぎに訪れた。棚橋が必殺の飛龍原爆からハイフライフローで勝負に出るが、永田はヒザを立てて撃墜した。勝機はここしかない。スリングブレイドをバックドロップ、ダルマ式ジャーマンもハイキックで切り返すと最後は鮮やかなバックドロップ2連発で、昨年7月から続く棚橋政権に終止符を打った。永田は『新日本は30周年の後は落ちるとこまで落ちたけど、ここまで盛り返したのは棚橋の功績だ。彼が新日本に熱を取り戻してくれた』と前王者をたたえた」(抜粋)

 しかし永田も「ミスターIWGP」と呼ばれ、棚橋の壁となり続けてエースの座を争い、混迷期を支えたことは紛れもない事実でもある。永田は「なぜファンがこれを望むのか。やっぱり一時代を支えた者同士の、シ烈な世代闘争的な意味合いもあるのでね。そういう熱い戦いを後世に残したいという思いはある」と語っている。新日本プロレスの歴史を支えた2人のラストマッチは、団体の歴史に新たな1ページを刻む激闘となりそうだ。 (敬称略)