【元局アナ青池奈津子のメジャー通信】もう10年以上前の話だが、普段は野球を取材しない知り合いの記者がヤンキー・スタジアムにイチロー選手の取材に来て「もう取材したくない」とプリプリして帰ったことがあった。

 憧れの選手に話を聞けなかったことが悲しかったのか…。でも、それを聞いて笑ってしまった。私が新米だった2007年、遠征で来ていた当時マリナーズのイチロー選手の囲み取材を後ろで聞いていたら、シアトルの日本人記者に「あとで内容を教えるので、質問のない方は囲まないでください」と忠告されたことを思い出したからだ。

 大スターのイチローさんに何を質問したらいいかなんて、新米に分かるはずがない。その時は勉強したい一心だったが、聞くこともダメなのかと衝撃的だった。

 その6~7年後。ニューヨークの地元誌から執筆依頼があり、ダメ元でイチロー選手のインタビューをヤンキースに申し込むと、何と許可が下りた。私の記者人生の中で最も思い出深い20分と言えるかもしれない。

「彼ほど人を引きつける存在は見たことがない」。マリナーズ取材歴30年以上のシャノン・ドライヤーは、選手時代のイチローさんとの思い出を振り返りながら、何度も繰り返した。

「のちに彼が英語を話すようになって確信したけど、たとえ日本語で話していても『うん、うん』と聞き入ってしまう。ふと我に返って『あれ? 私、日本語を話せないのに』と通訳のアレンに聞き直しに行ったことが何度も」。隣で聞いていたマリナーズのテレビ番組を担当するブラッド・アダムズも「イチローのコメントに笑いながら、何で笑ったんだっけ?はよくあったよね」「言葉が分からなくても、自然とうなずいてしまう。それがイチローの持つカリスマ性であり、人柄だった」と笑った。

 イチローさんの登場は、当時ベテランも多かったマリナーズの番記者たちを「一体、この生き物は何だ?」と惑わせるくらい異次元でセンセーショナルだったらしい。

「野球の殿堂の最後の1票は、シアトルの記者じゃないってほぼ断言できるわ。だって皆、彼の本を書いたりしているのよ。当時の私たちにとって、イチローの取材は本当に楽しみだった。誰も見たことがないものを見る喜び、知らないことを目撃するワクワク感でいっぱいだった」(シャノン)

 ただ、一度だけヒヤッとしたことがあるという。「初期の頃、私は彼といい関係を築けていて独占記事も出したし、対談も何度かやった。でも、ある日、試合後の囲みで質問したら答えてくれなかったの」。シャノンは聞こえなかったのかと再度別の質問をしたが、今度は目をそらされた。「オーノー、イチローが怒っている、嫌われた!」と大パニックだ。

「広報に泣きつき事情を探ってもらったら『イチローは君が不敬な態度をとったと思っている』と言うのよ。こんなに尊敬しているのにそんなはずないのに」

 実はちょうどテレビ出演が増えてきた時で「考え事をする時に、目を上に向ける癖があるから気をつけて」と注意されていた。「彼のコメントって考えさせられるでしょ? 聞きながら考えていたら目を転がしているように見えたらしくて。すぐに謝罪し、何とか誤解を解いてもらったけど、彼はそんなふうに自分のことを気づかせたり、成長させてくれるところがたくさんあった」

 ニューヨークでかなったイチローさんとのインタビューは、まさに真剣勝負だった。録音された音声を聞き直すと、1つの問いごとに12~13秒、イチローさんが考える「間」があった。

「ニューヨークでの楽しみ方は?」などの軽い質問にも、イチローさんは記者である私の質問の全てに敬意を払い、プレーと同じように全力で答えてくれた。そのため、五感全開で対応しないと追いつかない。何と手に汗握る、充実感のあるインタビューだったことか。

 あそこまで自分の真実にできる限り忠実に言葉を紡ぐ人を、私は他に知らない。イチローさん、向き合ってくださったことに心から感謝します。