【平成球界裏面史 近鉄へ118】近鉄OBのジェレミー・パウエル投手は、日本球界で8年の経験を積み、平成21年(2009年)からアメリカに帰国した。しかし、メジャー復帰を目指しパイレーツの3Aで2シーズンプレーしたものの、MLBのマウンドに戻ることはできず平成22年(10年)限りで現役を引退することを決意した。
引退後は日米球界でのキャリアを買われ、アリゾナ・ダイヤモンドバックスのスカウティングチームに所属。平成24年(12年)からはマーリンズのコーチングスタッフの一員としてフロリダに戻り、現在もマーリンズ傘下のマイナーリーグで投手コーチとして若手の育成に力を注いでいる。
平成21年(09年)に行われた第2回ワールドベースボールクラシック(WBC)では、原辰徳監督率いる侍ジャパンが大会を連覇。米球界にはスモールベースボールを重視動きも出ていた。そのため日本球界で8シーズンを過ごしたパウエルにも、その経験をフィードバックすることを求められる機会が増えた。
試合の序盤で無死一、二塁となった場面でもMLBでは犠打を選択する場面はほぼないが、NPBでは珍しいプレーではない。どちらが間違っているか、正しいかという問題ではなく、どういった根拠で日本球界ではそういった作戦を取るのか。パウエルは求められれば、日本野球の考え方から詳しく説明した。
かのイチローが引退時に語った「頭を使わなくてもできてしまう野球」。ホームラン全盛の時代から戦術が重視される時代も到来した。そういった背景もあってか、米球界の指導者の中にはNPB経験者が確実に増加した。
「ベースボールと野球が同じかと言われれば、全く同じではないと思う。それは投球のアプローチからして違う。メジャーでは先発投手が中4日で先発し、球数制限もあるため、ゾーンを使って積極的に攻めていく。だが、日本では相手チームとの対戦回数が多く、綿密に配球を考えて逆算して攻めるスタイルを取る。基本的に27個のアウトを取ることは同じだが、そのプロセスは違う」
日米の野球を経験した人材は貴重だ。引退後に指導者として活躍する人材が増えれば、米球界から日本球界に移籍する選手たちにもメリットとなる。日本で活躍した元助っ人たちが指導者としてベンチ入り、日本野球のエッセンスを生かして結果を出す。その好循環の中でパウエルも存在感を示しているという。
来日1年目の平成13年(01年)に近鉄最後のパ・リーグ優勝を経験。その後は球団合併による所属球団消滅、合併球団オリックス・バファローズでのプレー、巨人、ソフトバンクと渡り歩いた経験は無駄ではなかった。
一時は楽天時代の山崎武司と死球をめぐって乱闘騒ぎを起こすなど、ホットテンパーな部分も見せていたパウエル。近鉄バファローズという球団の最終盤で活躍した196センチの長身助っ投は、二重契約問題なども相まって記憶に残る選手としてファンの印象に残っているに違いない。















