「超人」のベストマッチは――。世界的な人気を誇るプロレスラーのハルク・ホーガンさん(本名テリー・ボレア)が24日、米フロリダ州の自宅で死去。71歳だった。ホーガンさんの40年来の友人で、日本で最も超人と親しかった佐藤義一氏が取材に応じ、思い出を振り返った。

 プロレスファンだった佐藤氏は中学2年の1982年に、タイツに「一番」の文字が入っていた頃のホーガンさんの宿泊先だった京王プラザホテルで「こいつ、面白いヤツだな」と声をかけられた。そこから交流が始まり、来日した際には食事をともにし、フロリダの自宅にも呼ばれるほど親交が深まった。〝日本で最もハルク・ホーガンを知る男〟と言っていい存在だ。

 なかでも佐藤氏の心に残っているのは、2011年3月11日に発生した東日本大震災でのこと。未曽有の大災害は米国でも大きく報じられた。ホーガンさんは自身のツイッター(現X)で「俺の〝息子〟のサトウは大丈夫か? 誰か知っているヤツがいたら、すぐに連絡くれ」などと、広めてくれたという。当時の佐藤氏はツイッターにアカウントがなかったものの、ニューヨークの知人から知らせがあり、慌ててツイッターを始め、ホーガンさんにダイレクトメッセージを送った。

 するとホーガンさんから返信があり、やり取りした結果、ホーガンさんに指定された連絡先に電話を入れると「サトウ、大丈夫か?」と心配されたという。世界的なスーパースターでありながら、SNSを使って律義にも友人の安否を確認してくれたのだった。

 40年以上もホーガンさんを見てきた佐藤氏にとって、ホーガンさんのベストマッチはどれか。アントニオ猪木を失神KOした1983年6月の一戦に加え、2002年3月のWWEの祭典「レッスルマニア18」(カナダ・トロント)で実現したホーガンvsザ・ロックのドリームマッチを挙げた。

 当時のホーガンさんはWCW末期の低迷を経て、9年ぶりにWWEへと復帰。〝悪の天才〟ビンス・マクマホン氏から送り込まれた刺客として、人気絶頂だったロック様の前に立ちはだかった。現地で試合を観戦した佐藤氏は、試合前にもホーガンさんと対面。「ホーガンさんは〝アウェー〟のつもりだったはず。でも僕が会場に着いたら、雰囲気が違っていました。会場の中でもnWоや、赤と黄色のTシャツを着た人がたくさんいる」と驚いた。ホーガンさんが入場してきた瞬間、異様な歓声が上がり会場は大爆発。「これ、ロックじゃなく、ホーガンさんじゃん。本当にシビれました」と、ファンの支持を変えたホーガンさんのパワーに圧倒されたという。

 当時48歳のホーガンさんは、29歳のロック様相手に互角にわたり合い、プロレス史上に残る名勝負に。最後はロックボトムに沈んだが「空気を読めるところがすごい。ホーガンさんの雰囲気がファンを変えた。信じられない光景でした」。試合後にもホーガンさんと顔を合わせた。「やり切った感があったんじゃないですか。ホーガンさんも〝アウェー〟の感覚でいっているのに〝ウエルカム〟でびっくりしたんじゃないですかね。試合はロックの勝ちでしたが、中身はホーガンさんの圧勝でしたね。ホーガンさんには誰もかなわないんだなと思いましたよ。どれだけ観衆をハッピーにして、心に残るレスラーなのか。何十年、何百年たとうが、ホーガンさんみたいなレスラーは現れないと思いますよ」と、佐藤氏は追悼の言葉を結んだ。