【女子プロレス最強レスラーの告白 神取忍 お前の心を折ってやる(8)】柔道日本一になった翌年の1984年2月にはカナダ国際の代表に選ばれた。前年の福岡国際女子では2位だったけど外国人選手と戦った経験から、ただ対戦するのではなくいろいろと戦略を考えるようになった。強くなるために技を研究したんだ。外国人と日本人で体形が違うから、得意技も日本向け、外国向けで変えた。
外国人は体が大きいから内股とかは難しい。担ぐしかないのだけど普通には投げない。右で投げる一本背負いを左で投げた。右だよ~って入りながら左で投げる感じ。日本人に対しては担ぐのは大変だから払い腰や内股でね。これがさ、当時はご法度だったんだよ。「一つの技で勝て」って風潮があってさ。今でこそ技の種類はいろいろだけどね。自分は勝つためならルールにのっとっていればいいと思っていたから、やっぱり異端児だったんだ。
カナダ国際では決勝で地元選手に、その練習した左一本背負いで勝って優勝。当時は国際大会で日本女子が優勝することは簡単じゃなかったんだよ。でもマスコミはほとんど騒いでくれなかった。マスコミにも嫌われていたんだよね。
当時は強化合宿にも参加したなあ。88年ソウル五輪で銅メダルを獲得した山口香さんもいたね。頭のいい子でさ。文武両道だったよね。合宿は何日間もだから組織が苦手でも面白かった。今なら考えられないやんちゃな生活だよ。合宿を抜け出してミーティングに遅刻したり、食事が遅くなったり。だって学校じゃないんだからさ。
84年は世界選手権がウィーンで開かれる年。自分は優勝候補の一人。でもこのころ、ずっとおなかが痛くて次第に我慢できなくなった。病院に行ったら虫垂炎だと。試合があるから手術は難しいので薬で散らす方法を選んだのだけど、血液の検査をしたら「あなたは赤血球の量が多いんです。増えている」と言われたんだ。赤血球が多いと、免疫力が低下して傷が治りにくくなるらしい。思えば、昔からケガの治りがものすごく遅かったんだ。「ああ、それでか」と納得した。
柔道を始めて小学生に負けて真面目に取り組んでいるころかな。頑張って練習をすると手が擦り切れる。そこからバイ菌が入り、菌がどんどん広がって手がグローブになるくらい腫れていた。膿のもとみたいなものを切って取らないといけないんだけど、今度は傷口が開いて縫うこともできずテープで止めて。回復したら今度はヒジが擦り切れて「痛いよ~」。先生に「心臓の上に手を上げてください」と言われていたことを思い出した。
赤血球の病気がわかり、医者からは「競技は難しいかもしれない」と言われてしまった。びっくりだよね。












