【炎の飛龍 藤波辰爾の軌跡 一心己道(56)】師匠のアントニオ猪木さんが死去して2か月がたった2022年12月1日、デビュー50周年記念記念ツアーのファイナルとなった国立代々木競技場大会で新日本プロレスの棚橋弘至とシングルマッチに臨んだ。 

棚橋との師弟対決は特別な試合になった
棚橋との師弟対決は特別な試合になった

 ドラディションの興行は年に数回の開催になっているから、一回一回の大会はお客さんの心に残るものをやろうというコンセプトでやっている。ましてやこの日は50周年の区切りの試合だったから、対戦相手が誰でもいいわけではない。何のテーマを掲げてやろうかとなった時に、合同練習をやったり入門の時からずっと縁が深かった棚橋に白羽の矢が立った。

 棚橋が入門してきたのはちょうど自分が新日本の社長になった1999年で、一騎打ちは02年10月の無我興行(後楽園)以来、実に20年ぶりだった。俺が新日本を去った後も、彼の活躍はずっと見たり聞いたりして知っていた。長年にわたって新日本の看板選手として団体を引っ張って、つらい時期を精一杯守ってきた。そんな選手の力を肌で感じたいというレスラーとしての本能みたいなものもあった。

 この試合では深紅のガウンを羽織って、歴代入場テーマ曲のメドレーから最後は猪木さんの入場曲「炎のファイター」で花道を歩いた。これはLEONAと2人で出したアイデアだった。彼も常にドラディションとはどんな団体かを考えていて、猪木さんが亡くなった直後に棚橋と試合、というシチュエーションをすべて理解した上で提案してきてくれた。

 プロレスファンはみんなそれぞれ、自分の思い出と想像力を持ち合わせている。だからこの演出をファンの記憶に焼きつけたかったんだけど、当の俺自身も登場しながらグッとくるものがあった。後で聞いたら、先に入場してリングで待っていた棚橋は「もっとつらかった」って言ってたね。涙をこらえるので必死だったって(笑い)。

 試合は棚橋のハイフライフローで3カウントを取られた。やっぱり新日本の看板を背負ってきた責任感というか、彼の底力というものを感じたね。最後は「1、2、3、ダーッ!」で締めくくった。本当だったら猪木さんもこの大会に来てリングに立ってくれる約束だった。猪木さんの遺志を継いでいこうと決意を新たにした大会だった。

 棚橋は23年12月から、新日本では俺以来となる選手兼社長を務めている。来年1月4日東京ドーム大会での引退を表明しているけど、やっぱりリングに立っていたいとか多少なりとも葛藤してるんじゃないかな? 不思議な運命で俺と同じような道をたどっていても、あの時とは状況がまた違うのでね。自分の信念を貫いて、彼なりのやり方で新日本を率いていってほしいと思っている。